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2024年11月07日 映画館上映情報更新 |
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2024年08月04日 参考資料更新 |
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2023年01月09日 故郷・千葉県銚子市更新 |
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2022年06月16日 故郷・千葉県銚子市更新 |
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1924年2月5日~1984年6月15日 千葉県銚子市出身。
もともとロシア文学が好きで、戦後、舞台の演出家や脚本家をめざしていたが、生活の為映画のエキストラのアルバイトをしているうち、1952年松竹で本格デビュー。
その後日活に移籍、日活アクションの悪役として有名に。
1964年に独立後は東映に数多く出演、自分でも映画や劇団を作り、後進の育成にあたりました。
「ハチのムサシは死んだのさ」の作詞家として有名ですが、若い頃から詩を書くのが好きだったそうで、メモ紙は手放すことがなかったとか。
50歳を過ぎるころから、平易な言葉でつづる童謡詩になります。
文章の腕も確かで、自伝的小説を出版する計画もあったとか。
死後出版された『乙姫様の玉手箱』は良平さんの少年時代の銚子の人々が活写され、大変興味深い一冊。
子どもと自然をこよなく愛した良平さん。
戦後すぐの時には小学校の代用教員をしていたり(自由奔放な教育方針を周囲から反対されすぐに辞職)、ご自分のお子さんの学校のPTA会長を務められたり、『自由の森学園』の設立発起人にもなりました。
故郷の銚子の自然破壊を憂えて、銚子市長選へ出馬を考えたこともありました。
映画『サンダカン八番娼館・望郷』の原作者として有名なノンフィクション作家、山崎朋子(1932-2018)。
女優を目指し(この方の本の表紙はたいていご自分の写真です。自信があるのですね)、上京して生活のため小学校教師をしていましたが、ロシア語を学んでいたことで朝鮮から来た東大の大学院生と出会い、同棲します(のち離別)。
そのロシア語を学ぶきっかけになったのが、なんと良平さんからの言葉。
『サンダカンまで わたしの生きた道』山崎朋子著 朝日新聞社 2001年 にありました。
1954年頃、良平さんの所属していた新演劇研究所の舞台が自分の「思想的にも演出・演技的にも親愛感をおぼえ」、知り合いの伝手で放課後の夕方、稽古を見学に通っていたそうです。
そんな中、良平さんから新演劇研究所の有志で小さな劇団を作るから入らないかと誘われ、スタニスラフスキー・システム(どういうものかはご自分で調べてください!)の読書研究や発声練習・訓練をやり、のち小さな公演をやることになったとか。
管理人の想像ですが、良平さんも新演劇研究所に入る前は故郷の銚子で小学校の代用教員をやっていましたから、教師の仕事で疲れているだろうに随分熱心に見学に来るなあと親近感がわいたのではないでしょうか。
しかし、公演の反省会で良平さんに「役者には向かない」と言われてしまいます。
「君は芝居を頭で演るから駄目なんだ。芝居は〈頭〉でなくて<体>で演るんだよ。あなたは頭が良過ぎる。役者には向かない。戯曲を書くとか演出をするとか、そういう方向を選んだ方が良いんじゃないのかな」
その夜、山崎朋子は泣きながら帰宅したそうですが、「スタニスラフスキー・システムを十全に身に着けていない」からそのように言われてしまうのだと思い、「スタニスラフスキー・システムの書物を眼光紙背に通るまで読みこむと同時に、人間のさまざまな生活を体験することが必要だ」「〈第一歩から学びなおそう。これまでは《教師の眼》で見ていた学級の子どもたちの家の生活も、これからは《演技者の眼》で視ることにしよう。そして更に、文学や演劇だけでなく、ほかの分野の本も読むことにしよう!〉」とロシア語を学ぶことになったそうです。
「頭で演るから駄目なんだ」「役者には向かない」とかなりはっきり言われたにもかかわらず、本を読みこんで勉強しようと思うところがすでに頭で考えているということだし、いくら生活のための学校勤めとはいえ、教師が《演技者の眼》で子どもを見ていてはあまり望ましくないのではないかな。。と思いますが。
当時の山崎朋子は22-23歳という若さ、そう思ってしまうのは仕方ないとしても、70歳近くになってこのような文章を書いていて、そのあたりの自覚は無かったのでしょうか。
結局刺傷事件がもとで女優の道をあきらめ、女性史の研究家・ノンフィクション作家になるわけですが、良平さんがはっきり言っていなければ、もしかしたら映画『サンダカン八番娼館・望郷』はなかったのかもしれません。。
すみません、ちょっとこじつけでした。
今後もまた、ゆかりの人々を少しづつご紹介していきますね。
このblogで何度かご紹介しておりますが、映画デビュー前の良平さんが新演劇研究所にいたときに一緒にいらした三條三輪さんが来年1月に舞台に立たれます。
(三條三輪さんのインタビュー⇒日本近代演劇デジタルオーラルヒストリーアーカイヴ)
今度は三條三輪さん脚本・主演の『女優』。
今回で4回目の公演です。
(管理人が前回観に行った時の感想はこちら。)
100歳の現役女優&劇作家の舞台を観に行きましょう!
公演は3回で、"虹企画ミニミニシアター"とあるくらいこじんまりした劇場なので、ご予約はお早めに。
2025年1月24日(金) 7:00PM~
2025年1月25日(土) 3:00PM~
2025年1月26日(日) 3:00PM~
きゃー、もう渋谷に足を向けては寝られません!
シネマヴェーラ渋谷のみなさま、ありがとうございます!
良平さんの生誕100年、没後40年という記念すべき年である2024年もあと2か月、なんと5作品も良平さん出演作がシネマヴェーラ渋谷で上映されます!
2024/11/30 ~ 2024/12/27 生誕100年の人々
『ギャング同盟』1963年
『青雲やくざ』1965年
『集団奉行所破り』1964年
『東シナ海』1968年
『車夫遊侠伝 喧嘩辰』1964年
管理人としては、『東シナ海』よりも『天保遊侠伝 代官所破り』(1965年)を入れるとか、千葉真一とのコンビが楽しい『やくざ刑事』シリーズ、ドキュメンタリー映画『虹ふたたび』(1975年)や日活作品も入れてほしかったんですが、ずっと観たかった『青雲やくざ』が入っているので良しとします。
トークショーなんかもあるんでしょうか。
年末が楽しみです。
いいクリスマスになりそうですね!
朗報です。5月末にテネシー・ウィリアムズを公演した三條三輪さん率いるぐるうぷシュラ。
8月に100回公演(祝)です!
今回は2月にも上演した、『「構成詩劇」核、ゲンバクって?』
“原爆なんて古い”という心無い声があったそうですが、演目の選び方はさすが三條さんですね。
苛烈な戦争体験をもつ演劇人の舞台、どうして見逃せるでしょうか。
5月のテネシー・ウィリアムズ『東京のホテルのバーにて』は、三條三輪さんの翻訳と演出、主演。
アル中で狂死する高名な画家(演・跡見梵さん:呟き声なのに台詞が明瞭に聞こえる!凄い!)の妻ミリアムの苦悩と孤独を表現、流石の名演でした。
5月の土日は混雑したようです。
観たい方は早めに予約をとってみてくださいね。
まさかのモノクロ(悲)⁈
泉京子の赤いビキニスタイルのポスターだったので、34歳の若い良平さんをカラーで観られると楽しみにしてたのにー!
まあ気を取り直して、と。
以前脚本を読む機会があり、良平さんが三橋達也の敵である海賊の親分であることや登場場面は多いことが分かっていたので、楽しみに観ていたら。。
瀬戸内の海賊船でせっせと働く子分たちの中で明らかにシャープで頭の切れそうな感じがする人がいる!と思ったら良平さん。さすがでした。
三橋達也にフラれた田代百合子をじっと見て『俺の初めての女に似ている』と子分に呟いたあと、すぐに百合子に迫るのはいくら良平さんでも手が早すぎ!流石に劇場内からは笑いが。
良平さんが刺されて壁に背をつけ、ずるずる落ちて息絶えるのを真正面からとらえたシーンはなんだかイタリア映画のようでカッコよかった。
映画の出来としては。。微妙の一言。
見どころとしては泉京子の日本人離れした素晴らしいスタイル(田代百合子は引き立て役になってしまいかわいそうだった)と良平さんのかっこよさでしょうか。
ラスト、三橋達也を巡って水中キャットファイトを繰り広げた泉京子と田代百合子が仲良く2人一緒に空に昇って行くという荒唐無稽さ。。原作の火野葦平本人も出演しているというのに原作者としてこんな作品を許してたのかしら?首をかしげてしまいました。
良平さんは同じ火野葦平が原作の『暴力の港 虎と狼』にも出演していますが、原作の舞台は良平さんの故郷の銚子!
なかなか上映される機会が無いようですが観てみたい作品です。
前回ご紹介した、アニメ『まんが偉人物語』のビデオ40作品を観終わりました。
名前以外ほとんど知らなかった偉人の生涯について興味がわくので、大人が観ても面白いと思いますよ。
『ベーブ・ルース』(主人公=内田良平):「いつか本気出すから」呑んだくれて練習嫌いで成績が振るわなかったが、病児との出会いで一念発起。
『ゴッホ』(主人公=安原義人):純粋さゆえに傷つくゴッホを経済的にも精神的にも支えていた弟(=松金よね子)の犠牲を知り、狂っていく姿が痛ましく。
『ファーブル』(主人公=安原義人):貧乏で進学できず独学だったとか。「ムシのように生きようとした偉大な詩人でもあったのです」と良平さんのナレーションが締める。
『レントゲン』(主人公=安原義人):ひょんなことから不思議な光線を発見したことで悩んでしまったが、家のネズミ(=松金よね子)が骨折したことで医学に生かせると思いつくところが面白い。ラストは『人間皆所詮同じガイコツだ』と笑って終わる。良平さんの人生観ともつながるような。
1作品で良平さんが安原義人や松金よね子と一緒に何役も演じるのですから、吹替の現場を想像しながら観ると楽しかったです。
この『まんが偉人物語』全部で92作品あるそうですね。
国際情報社からは本が全作品の出ていますが、あくまでも本なので、絵は同じですがセリフやナレーションシナリオは違っています。
映像を先に観たせいもありますが、管理人イチオシの『一休』の迫力や受ける感動は映像の方が勝っていました。
ケーブルテレビで放送はないのか調べてみたら、アニメシアターX(AT-X)で放送したことがあったようです。
https://www.at-x.com/program/detail/1305
制作会社のグループ・タックがもう無いので権利関係で難しいのかもしれませんが、再放送リクエストもできるみたいです。
1枚につき4作品収録のレコードもあるので、再放送を待ちつつ、チェックしてみます。
今のところ管理人のイチオシは『一休』ですが、他にも出てきたらまた書きますね。
良平さんがナレーションを担当していたという30分で2話のテレビアニメ『まんが偉人物語』。
全部は観られていないのですが、けっこう面白かったのでご紹介しますね。
常田富士男と市原悦子のコンビが何役もこなす『まんが日本昔ばなし』で有名な制作会社グループ・タックが手がけており、安原義人と松金よね子と良平さんのトリオで世界の偉人たちの子ども時代、その生き方や成し遂げた仕事について紹介しています。
良平さんはナレーションとクレジットされていますが、メインのナレーションだけでなく、主人公やその父親、親戚や近所のおじさん、悪徳金貸し、大家さん、いじめっ子などありとあらゆる役を演じています。
まんが日本昔ばなしと同じように、先に描かれた絵を元にしてセリフやナレーションをつけていくスタイルですが、かなり良平さんがノッて演じている印象なので、もしかしたら良平さんの考えやアイデアが相当入っているのではないでしょうか。
『夏目漱石』や『一休』ではナレーションと主人公。
『夏目漱石 ~わが輩は犬である~』はとぼけた野良犬(安原義人)との交流を通じ、正義漢で一本気な漱石の生き方が紹介されます。
『一休 ~世直し和尚~』は同時代の大人気アニメ『一休さん』がすでに放送されていたためか、子ども時代からではなく、寺を持たない清貧の高僧・一休が不正のはびこる世の中に絶望して山奥に引きこもるも、「都全体が俺の寺だ!俺は人間のそばに戻る!」と山を下りるまでを描いています。
この『一休』はかなりおすすめ。
自分を慕ってついてくる弟子入り志願の少年(松金よね子)を「俺の淋しさは俺のものだ」「お前の淋しさはお前一人しかどうにもならん」とつっぱねる一休に良平さんは自分の思いを仮託して演じていたのではないかと思いました。
良平さんが本作に出演に至るまでの経緯はわかりませんが、良平さんにとっては大変楽しくかつ意欲的に取り組めるお仕事だったのでは。
全部で100話近くあるそうなのですが、ビデオが出ているのは40話のみ。
ケーブルテレビで放映することがあるようなので楽しみに待っています。
後日、観た感想を書きますね。
良平さん映画デビュー前に所属していた新演劇研究所で一緒に活動されていた三條三輪さんの演出・出演の舞台が発表になりました。
⇒虹企画/ぐるうぷシュラ「テネシイ・ウィリアムズ研究会」公演
長年テネシイ・ウィリアムズを研究、上演してきた三條さんの舞台です。
上演する演目は、大家から立ち退きを迫られた娼婦の「バーサからよろしく」、芸術家の妻の苦悩を描いた「東京のホテルのバーにて」。
いずれも鳴海四郎と倉橋健の共訳でハヤカワ演劇文庫から出ていますので、ご興味のある方は読んでから観劇してもいいかと思います。
管理人は「東京の~」がハヤカワ演劇文庫版を読んでもよくのみこめず(汗)、今回は三條さんが訳したものを舞台にかけられるとのことなので楽しみにしています。
以前にこのblogに書いた、良平さん原作の劇画『覇道残光』ですが、1974年の「プレイコミック」誌掲載の全23話を読むことができました。
時代は明治初期、武術の師である父を殺された若者が仇討ちの旅に出て、技を磨きつつ様々な武術の達人と出会い倒していくというストーリーです。
なんで良平さんが原作なのか?と思っていたのですが、雑誌のインタビューで、明治時代の初期が好き、人間が人間らしくいられた時代だったと思っている、という趣旨のことを話していましたね。
ただ、1974年の良平さんはテレビドラマや舞台、初めての詩集発売、銚子市長選へ立候補寸前(結局立候補せず)、という大変な忙しさだったので、おそらくストーリーの詳細までは関与してなかったのではないでしょうか。
最初の5話までは"原作■内田良平 (狼プロダクション)劇画■守谷哲巳"となっていましたが、6話以降は"原作●内田良平(狼プロ・小河原陸奥) 劇画●守谷哲巳 協力=いしづかすすむ"と関わる人が増えています。
良平さんは原案出し迄で、あとは狼プロや若い人に仕事を回すためにやってたのでは?
格闘技が好きな人にはいいのかもしれませんが、登場人物の造形が甘く、技の披露だけで淡々と進んでいくので、当時の読者に受けたのかしら???と思ってしまいました。
限られた枚数で1年間23話で終わらせるという制約のためうまくいかなかったのかもしれませんね。
もし人気が出たら映像化の話もあったのでしょうか。
また調べてわかったことがありましたら載せますね。
良平さんが学生時代の友人である新城明博さんと一緒にたちあげた同人誌『浪曼群盗』。
良平さんが亡くなったあとに新城さんにより編集発行された1986年『蝶のドア』や2002年『ねむの花 内田良平R・G遺作品集』をお読みになった方はお分かりになると思いますが、映画デビュー前の新演劇研究所に入る前から長年にわたり寄稿しており、詩人・内田良平の軌跡が見えてきます。
創刊号は1949年6月。
新城さんと良平さんの二人だけだと格好つかなかった(?)のか、新城さんのお父様で俳人であった新城世黨(世黨=俳号)さんの3人でスタート。
次号からは友人でもあった金井啓二さん、のちの美学者の島本融さんなど寄稿する人数もぐんと増えていきます。
新城さんは大学を卒業してからは福島県本宮市のご実家で家業の酒屋さんを手伝いながら、良平さんは千葉県銚子市で材木屋、魚の卸業など様々な仕事をしながら、遠く離れていても厚い友情が『浪曼群盗』として結実しました。
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~『浪曼群盗』創刊号 1949年6月25日より~
それは、海べと田園に生えた、二つの考へるあしのやうな草であった。
それはか弱き「浪曼群盗」なのだ。しかも草の葉上に鋭く月光をとらえる露玉の如く。
それがこの小冊子の題名となった。もっと多くの考へるあしがこの浪曼群盗から生えることをのぞむ。
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今年は良平さんの生誕100年、没後40年。
今後は俳優としてのお仕事だけでなく『浪曼群盗』や詩人としての良平さんのこともご紹介していきたいです。
福島県本宮市。
『浪曼群盗』誌を良平さんと一緒に立ち上げた、学生時代からの友人の新城明博さんの故郷です。
新城さんのご実家は、末廣酒造(現在の本社は会津若松市)の本宮支店でした。
良平さんと新城さんとは、銚子と本宮、遠く離れながらも互いにお互いの家を頻繁にたずね、家族ぐるみの交流をしていたそうです。
良平さんの見た風景を追ってみたく、福島県本宮市をたずねてみました。
JR本宮駅構内。
『イヨマンテの夜』で有名な歌手・伊藤久男の出身地でもあるため、伊藤久男の紹介とピアノが展示してありました。
映画ファンの間で有名な本宮映画劇場。
建物は100年以上も前に建てられ、学生時代の良平さんが新城さんを訪ねて行った頃は「本宮座」という劇場でした。良平さんも入ったことがあるかもしれませんね。
予め予約していくと、元は池袋HUMAXシネマズにあったという椅子に腰かけたオーナーの田村さんが待っておられ、建物や映画館当時の頃のお話をしてくださいます。
建物完成当時の大工さんのお名前が入った資料が最近になって見つかったなど興味深いお話が聞けました。
とてもやさしくお話ししていただき、2時間くらい滞在してしまいました。
本宮駅の東側を流れる阿武隈川。
良平さんと新城さんは泳いで遊んだこともあったそうです。
新城さんのご実家の(今はもうありませんが)末廣酒造本宮支店だった場所の向かい側にある、『菓匠きねや』さんのイートインコーナーでお茶しました。
昔の本宮は福島の玄関口としてかなり賑わった町だったそうで、今でもお菓子屋さんが数多くあります。
本宮市立歴史民俗資料館(写真は本宮市のHPからお借りしました)。
大正13年に建てられた電気会社の建物だそうで、良平さんもきっと前を通ったことがあったと思います。
中には新城さんのご実家の酒屋さんで使われていた当座帳、戦後すぐの本宮市街の航空写真などが展示されていました。
月曜日休館、入館無料です。
https://www.city.motomiya.lg.jp/map/035.html
石雲寺。
新城家と伊藤久男のお墓があり、お墓参りをさせていただきました。
1960年代初めにお父様を亡くしてからどのような心境の変化があったのか、3代目の酒屋の主となるところをご家族に譲り、郡山へ転居、詩人として生きた新城さん。
新城さんについてはまた別の機会にご紹介しますね。
blogで何回かご紹介しておりますが、良平さんと新演劇研究所時代に同じ舞台に立っていらした、劇作家&女優&医師の三條三輪さんが幻冬舎からご本を出されました!
この表紙写真ちょっとびっくりしませんか?おみ足キレイ!ミニワンピ姿がチャーミング!
こんな99歳がいるでしょうか!
目をつけた幻冬舎はさすがですね。
これまでの演劇人生の事についてはご自身が月刊『テアトロ』誌やカモミール社出版の戯曲などでたくさん書いているためなのか殆ど載っていませんが、今回は万人向けの「生き方本」なので、数え99歳まで元気でいられる秘訣は。。という内容です。
帯にもありますが、「規則正しい生活なんてしたことない」「好きなものしか食べない」「“ときめく心”が生きる原動力」など、三條さんならではの言葉がならんでいます。
また、他の生き方本と一線を画すのが、最後の反戦への思い。東京大空襲後の焼け野原で友人を探し歩いた話、白猫を飼っていると米軍機に狙われるからと黒い服を着せて終戦の時に脱がしてホッとしたという話が印象的でした。
100歳になったら、ひとり芝居をやるつもりで脚本も用意してあるとのこと。
今から楽しみです!
自分でもおバカだと思うのですが、『良平』という文字を見ると平常心でいられないらしく。。
期間限定のスイーツショップの前を通った時、「ん、まさか『良平堂』なんて」「『よしひらどう』でしょ」と検索してみたらなんと『りょうへいどう』だというではないですか。
岐阜県は恵那の菓子店だというし、良平さんとは全く関係ないでしょうが、なんだか美味しそうだったのでお高めでしたが買ってみましたよ。
干し柿に栗きんとんが入っていて、少々柿が甘かったのでお茶と一緒にいただくとちょうどよく上品なお味でした。
全国で出張販売をやっているそうなので機会があれば。
恵那栗工房 良平堂 https://enakuri.ocnk.net/page/8
間が空いてしまいましたが、司会をやっていただきたいお方を(あくまでも管理人の妄想ですよ!)。
・伊藤彰彦氏・・映画史家。
管理人がトークショーで初めて見て優しい語り口とムードにすっかり惚れ込んでしまったお方。
少々お髪が・・ですが、そんなことどーでもよい!
(というよりあれでお髪が完璧だったらモテまくるだろうのでかえってイヤ)
とにかくジェントルマン。
絶対に相手の話を食わない(ここすっごく大事!)。
あの時のトークショーの観客席の女性は皆うっとりとなってました。
伊藤さんがお出になるトークショーがあったら良平さんが出てない映画でも行きたい!
良平さんについての文章は見たことがないからどこまで語ってくださるかわかりませんけど、この方に司会していただけたら嬉しいなあ。
ご著書『無冠の男 松方弘樹伝(講談社)』『最後の角川春樹(毎日新聞出版)』『仁義なきヤクザ映画史(文藝春秋)』
・杉作J太郎氏・・漫画家、ライター、映画監督、俳優などマルチにお仕事されています。
管理人が一番最初にお名前を知ったのは、『映画秘宝Vol.4男泣きTVランド』から。
大変面白かったので、以来この方のお書きになるものは注目して読んでいます。
『ボンクラ映画魂 三角マークの男優たち』『ボンクラ映画魂 完全版 燃える男優列伝』の近藤正臣の項はJ太郎さんの真骨頂。
読んでない方は是非。
他の方は、、思いついたらまた書きますね。
来年2024年、掲題のイベントがあったらいいなあと全国の内田良平ファンは思っている筈、と信じて管理人が妄想してみました。
(注.あくまでも管理人の頭の中で考えたことなので悪しからずご承知おきください(^o^)/)
上映して欲しい作品は先日のblogで上げましたので、今度は是非登壇して欲しいゲストを順不同&敬称略で列記します。
・美輪明宏・・映画『黒薔薇の館』と良平さんの新演劇研究所以来の舞台復帰作『双頭の鷲』と『マタハリ』で共演。
良平さん没後出版された『乙姫様の玉手箱』では追悼文を載せています。
・小林旭・・共演の多かった千葉真一、梅宮辰夫、竹脇無我に語ってもらえたら・・ですが、残念ながら御三方とも既に亡く。良平さんのことを語った資料は記憶に無いので難しいかもですが。。
・香山美子・・今、現役で活動している女優の中でおそらく一番共演が多い。
良平さんの妻役の『やくざの横顔』の美しさが印象的。
・賀川ゆき絵・・以前にもblogに書きましたが、良平さんはこの方の朗読を大変評価していました。
テレビ『クイズ!脳ベルSHOW』に出た時、良平さん撮影の写真を出していましたね。
(以下はなかなかむつかしそうだけど)
・杉良太郎・・映画よりも舞台の方が多く共演しているので、映画館では出て下さらないと思いますが、晩年病に倒れ、半身不随になった良平さんを舞台に呼んでくださった、良平さんにとってもファンにとっても大恩人。
著作でもマスコミでも語っていますが、現在の思いをお聞きしたいです。
・平田昆・・良平さんが『ギャング同盟』出演前に独立して狼プロをつくったときのマネージャー。
『嵐の中の母』を1952年第5回カンヌ国際映画祭に持って行った方です。
良平さんが若い頃通った新宿『どん底』HPでも思い出を語っています。
かなりご高齢なのでむずかしいかもしれませんが。。
・江樹一朗・・良平さんの甥御さんであり、付き人でもあり、良平さんの演劇研究所を引き継いで劇集団KAIを率いていた方。ご著書『モタラの涙 地雷を踏んだ象さんの物語』では良平さんのことについて少し触れています。
他にも呼びたい方、語ってもらいたい方の話は次回に。
良平さんが映画デビュー前に所属していた新演劇研究所で一緒だった、三條三輪さんの歴史的インタビューが出ました。
http://www.hbnk.cfbx.jp/oth/archives/86
2021年に収録されたものです。
2.26事件、戦時中の弾圧、土方与志、千田是也を語れる人が今、どれだけいるでしょうか。
三條三輪さんがご自分の著作で書かれていたこと以外の貴重な話が載っています。よくぞインタビューして残してくださったと関わった方々に感謝したいです。
この「日本近代演劇デジタルオーラルヒストリーアーカイヴ」には芦屋小雁、水谷八重子、宝田明、林与一、藤木孝も載っています。
すでにインタビューはされているのかもしれませんが、一人芝居『土佐源氏』で有名な坂本長利も読みたいですね。
http://www.hbnk.cfbx.jp/oth/about
ネットで読めるものとしては、どれも大変貴重な記録だと思います。是非ご一読を。
1974年の良平さんは映画出演こそ少ないものの、ご自分の演劇研究所の指導、劇画の原作、映画『荒野の用心棒』吹替、初めての詩集を出す、銚子市市長選への出馬直前までいくなど非常に忙しく過ごしていたようです。
(この年に限らずとも終生忙しかったらしく、1980年舞台『熱帯樹』パンフレットで、プロデューサーの葛井欣士郎氏が出演交渉時になかなか連絡がとれず大変苦労したということを書いていました。この2年後に病に倒れたのも多忙だったせいなのでしょう)
1974年のテレビレギュラー出演では、TBS『朝のティーサロン』、丹波哲郎と共演のドラマ『大盗賊』などのお仕事がありますが、一番観たいのは、土曜日の深夜番組『夜をあなたに』。
1974年7月5日のサンケイ新聞朝刊では、『音楽と踊り、それにファッションなどおとな向けの話題でつなぐ十五分。司会は内田良平と松尾和子』とあります。
当時50歳の良平さんと39歳の熟女(半世紀前の39歳は今では考えられないでしょうが熟女です)・松尾和子という組み合わせ、土曜日という、当時一週間の仕事の終わりの日の深夜、まさに『おとな向け』です。
深夜の15分番組なので、情報が少なく、テレビ番組表からしか情報がとれないのですが、途中何かの事情で松尾和子のみの司会になったようですね。
50年近く前の番組ですし、録画や録音している方もそうはいらっしゃらないでしょうが、同じ年放映の『3時に会いましょう』のゲスト出演(なんと銚子の教え子たちと出演!)は●ou-●ubeで観ましたので、いつか観られたらいいなーと思っています。
来年2024年は良平さんの生誕100年&没後40年なんですよね。
ヴェーラorラピュタor神保町あたりで良平さんの特集を組んでくれないかなあ。。。
と思っている方は管理人の他にもいらっしゃる筈と信じて、
是非映画館で上映してほしい良平さん出演作を思いつくままに挙げてみます。
『十三人の刺客』...言わずと知れた良平さんの出世作。抜擢してくださった工藤栄一監督に感謝!
『ギャング同盟』...シャツをはだけた良平さんが超セクシー。
『間諜』...伊部晴美の音楽に酔いしれたい!
『天保遊侠伝 代官所破り』...三角関係の役はわりと多いのですがその中でも一番好きな役♡
『虹ふたたび』...目の見えない少年との二人旅のドキュメンタリー映画。
『狭山裁判』...ズバリのタイトルですが、主役(?)の指導者役にクレジットされています。
『幻日』...数少ない主役。武智鉄二の未公開映画(当時)。もう一回観たい!
『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』...なんだか楽しそうに演じているので。
『嵐の中の母』...初めて良平さんがクレジットされた記念すべき映画。
『赤道を駆ける男』...リオまで行ってロケしているので、スクリーンで観ないと。
『暴力の港 虎と狼』...ポスターの丹波さんとのツーショットがド迫力なのでどんな映画かと。
あとは、竹脇無我との共演『青雲やくざ』『男の魂』『熱い血の男』は観たことないので観たいなあ。
映画館の方!ぜひ内田良平特集をお願いいたします<m(__)m>
管理人の大好きな関本郁夫監督。脚本家でもありますね。
Wikipediaには"女性の恋の情念の描写では評価が高い"とありますが、管理人は『処女監禁』や『大奥浮世風呂』、『およう』などの非モテ男の描き方が好きです。
助監督時代の第一作は良平さんの主演作『車夫遊侠伝 喧嘩辰』だったとか。
そんな関本監督のことを知りたく読んでみたのが『改訂版 映画人(かつどうや)列伝』青心社 2002年。
この本、監督に興味のある方は是非読んでください。
監督としてデビューするまで、デビューしてからの紆余曲折、資金繰りに苦しんだ『およう』、
主演女優がケガしてしまった『女番長・玉突き遊び』、
"映画美術は監督以上の仕事"と言っていたという早世した美術の森田和雄の話、
師匠格の加藤泰監督や小沢茂弘監督との対談など、どの話も面白かったです。
で、後日談が非常に気になる良平さんの話。
なんと、監督が23歳の時に大江健三郎『性的人間』をシナリオにした生原稿を「ちょっと俺に貸しといてくれよ」と持って行ったきりだそうです。
当時は良平さんがフリーになった後ですから、自身で映画の企画でもしていたのでしょうか。
1967年の講談社刊『われらの文学 18 大江健三郎』におさめられたのを読んでみましたが、後半の性犯罪に手を染める主人公にどうもついていけなくて..
なんで関本監督はこれを映画にしようと思ったのか?良平さんもどこに興味をもったのでしょう。
同じ本におさめられた『セヴンティーン』は自分が何者であるか不安定さに悩む若者が右翼に魅せられていくプロセスの描写がすごく、今読んでも興味深い話だと思ったのですけど。映画にはしにくいかもしれませんけどね。
監督は"あとがきのあとがき"に『続・映画人列伝』を必ず書く、としているので、その後が知りたいです。
2020年には『映画人放浪記』という本が近日中に出版とあったのですが、どうなったんでしょうか。
1942年生まれの関本監督、お元気でいらしていただいて、あともう1本くらいは撮ってください。
ネタバレが好きでない方もいらっしゃると思うので、上映期間中にblogに載せるのは気が引けるのですが、いろんな意味でレアな映画なのでご覧になってみては。
良平さんは最初っから声と一緒に出てきますので気を抜かずにお見逃しなく。
おおっ!前年の『人生劇場第一部』に比べて髪が短い!かっこいい!!
良平さんは短めの髪の方が男っぷりが上がるので(1972年の雑誌で白いバスローブに短髪で出た時は日本人離れしたかっこよさで惚れ直した♡)映像で観られるのは嬉しい!しかも若いし(笑)。
撮影当時は新演劇研究所で『真空地帯』の林中尉を演じて全国回っていた頃なので、それで髪が短かったのだと思います。
他、レアといえば最後の方でメインの登場人物殆どがマワシ姿で相撲。。良平さんは勿論、なんと笠智衆まで!
本作の笠智衆は主人公の恩師ですが、髪の毛が長めでいつも酔っ払っているような役なので寅さんの御前様を見慣れていると珍しいかも。
ついでに片岡千恵蔵までマワシ姿になって、良平さんと同じ画面にいました。
この10年後『十三人の刺客』で共演することになるのでしたね。
ファンの方なら皆さまご存知、本日は良平さんの99回目のお誕生日です!
没後40年近くも経つのに良平さんをさまざまなメディアで語ってくださる方の多いこと、遅れてきたファンとしては大変嬉しいことですね。
俳優、詩人、エッセイストとしても有名ですが、ご病気にならず長生きされていたら、ジャーナリストとしてももっと活躍されていたのではないかと思います。
今後は俳優以外のお仕事もご紹介していきたいですね。
管理人の情報処理スキルと文章能力の不足のため、ファンサイトを名乗りながら更新が遅い、内容が薄いと思われる方もいらっしゃるとは思いますが、徐々に濃く多くしていきますのでご容赦ください。。
佐分利信のお友達?オールスター映画です。
狂言回し的立場の舟橋元は背が高くてまあまあの二枚目ですがいかんせん大根で魅力なく。。
正直、良平さんが出てなければ二回以上見たいと思わないなー、途中眠りそうになったし。
良平さんは舟橋元の大学の友人で作家を目指す青年役。
八木保太郎の脚本や東映のプレスには自分の才能の無さから舟橋をモデルにスキャンダラス小説を書き、舟橋に謝る場面があるのですが、そんな場面はなかったような。。
撮ったけどカットされちゃったんでしょうか。残念だなあ。
おそらく今観られる映画で一番若い時の映像だと思いますが、良平さんは細かったです。学生服も和服も似合ってました。
当時の文芸誌『浪曼群盗』には、掛け持ちしていた新演劇研究所でのお稽古もあるからほとんど寝ていないと書いています。
映画公開当時の銚子の街で、
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"映画館のスピーカーが-(中略)内田良平君がこのたびヂュウヨウな役割で出演致して居ります~"
"近所の人も自分の事の様に床屋や風呂のなかで話している。"
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良平さんが学生時代の友人と立ち上げた文芸誌『浪曼群盗』で同人の金井啓二さんが書いていたのを読んで以来、ずっと観てみたい映画です。佐分利信が監督した『人生劇場第一部』より前の公開で、おそらく本作が映画デビュー作と言えるのではないでしょうか。
なかなかネット配信でも映画館でもかからないようなので、『八住利雄 人とシナリオ』(1992年・日本シナリオ作家協会)掲載の脚本を読んでみました。
中国から復員してきた主人公(沼田曜一)は中国で犯した自分の戦争犯罪の責任をとるために、母を残して中国戦犯法廷へ自ら出廷します。
その際"中国遊撃隊"の青年を捕らえて青年の年老いた母親の目前で銃殺させたことを母に告白するのですが、その回想シーンに出てくる青年役が良平さんです。
出演場面は134-135頁だけですが、たしかに重要な役です。ト書きの一部をご紹介しますと、
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"夜の広場。"
"壁の前に立たされた青年が、昂然と目かくしを投げ棄てる。"
~(中略)~
"月の光を浴びた青年の目が、ぱっと見開かれる。"
"青年「(叫ぶように中国語で)母さん!」"
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良平さんのあの目を思い浮かべながら読んでみると、台詞は母さん!だけですが、演技力を必要とされる非常に大事な役です。
この映画は、のちに良平さんのマネージャーとなる平田崑さんが1952年第5回カンヌ国際映画祭にもっていって、上映され、予算の関係で字幕はつけられなかったものの、かなり評判がよかったそうです。
上記『八住利雄 人とシナリオ』で沼田曜一がそのときの顛末を載せていますのでご興味のある方はお読みくださいね。
フィルムが残っているかどうかはわかりませんし、あったとしても、動画配信やテレビ放映はなさそうです。
日本の最高責任者が戦争責任をとらないのに、末端の国民が自ら裁きの場に赴く、という批判精神の気合のこもった映画、今こそ観てみたいです。
このblogで何回かご紹介しておりますが、日本最高齢(おそらく)の劇作家&演出家&女優、三條三輪さんの最新作が1か月後上演になります!
三條三輪さんは良平さんが映画デビュー前に所属していた、新演劇研究所の2期生。
当時の研究生で、ご存命の方で最も長く良平さんを知る貴重な存在です。
東京大空襲の翌日、医大の級友の行方を捜して無数の遺体が散らばる焦土を歩いたという壮絶な体験を持つ三條さん。
そんな戦争体験を持つ劇作家からのメッセージ。唯一無二の機会です。
行ってみようかと考えておられる方、コロナの状況によっては人数制限などで満席になるのが早いそうなので、お早めに予約をしていかれてくださいね!
「構成詩劇」 核、ゲンバクって?
開演日時:
2023年
2月17日(金)19:00~
2月18日(土)15:00~
2月19日(日)15:00~
場所:虹企画ミニミニシアター(新宿駅もしくは大久保駅から徒歩で行けます)
前売:¥3,000,-
当日:¥4,000,-
(日時指定/全席自由)
お問合せ 虹企画/ぐるうぷシュラ
090-6712-0114
三條三輪さんの今回の公演についてのエッセイが掲載されています。
なんと「原爆なんて古い」と言われてしまったそう。
なぜ?どこが?「古い」のでしょうか。
良平さんの『乙姫様の玉手箱』(潮出版社・1984年)をお読みになった方はご存知の"長崎太郎"。
高村光太郎が1912年に書いた詩『犬吠の太郎』のモデルです。
その長崎太郎の働いていた老舗の宿、ぎょうけい館が今年の1月で閉館になるそうです。
(額の写真はぎょうけい館に展示されている版画家の土屋金司氏の作品)
明治七年創業だそうですから、現在ある銚子の旅館の中でも歴史あるお宿です。
ぎょうけい館に展示されている明治後期の暁鶏館(当時の宿名)の入口写真の絵葉書
現在のぎょうけい館の入口。おそらく明治後期の絵はがきと同じ位置?
旅館としての営業は1月16日(月)のチェックアウト迄だそうです。
こじんまりしていますが、太平洋一望の露天風呂は大変気持ちよく、接客も丁寧です。
レストランの営業は終了したそうですが、まだ宿泊予約(1人一部屋宿泊は受付不可ですが)も日帰り入浴もできるそうですので、行かれてみてはいかがでしょうか。
[参考情報]
ぎょうけい館 HP
長崎太郎の紹介:高村光太郎連翹忌運営委員会のblog
良平さん出演作ではありませんが、今、是非多くの方に観て頂きたいのがこの一作。
米軍基地があらゆる人々の生活を侵食しているのですが、一時間半という短い時間にこれでもかというくらいいろんなエピソードを詰め込んでいるにも関わらず、無理のないよくできた脚本だなーと感心しました。
村役場の窓口では米軍の放置した何種類もの爆弾の大きな絵を掲示して注意喚起したり、米軍演習の爆音が鳴ると小学校の授業が写生の時間に変わったり、三國連太郎とその妹や弟と家路を辿るも米軍機が歌声をかき消さんばかりの爆音で飛んだり、今でも米軍の基地がある地域では同じ体験をしている人たちがいると思うと胸が痛くなりました。
いま世界でも同じような辛い思いをしている人たちがたくさんいます。
DVDも動画配信もテレビ放送もなく、なかなか観られる機会がないので、映画館で上映した時は是非観てください。
今年は12.17まで国立映画アーカイブで上映しています。
映画デビュー前の新演劇研究所(以降、新演と呼びます)時代を一緒に過ごされた三條三輪さんの戯曲集『聖都市壊滅幻想』(カモミール社・1999年)に掲載の自伝的エッセイ『女優と医師との二足のワラジ』(初出は演劇雑誌『テアトロ』1996年5月~9月号)。
如何にして女優を志すことになったのか、生い立ちや新演時代の思い出、ご自分の劇団を立ち上げられたときのことを書いていらっしゃいます。大変面白いエッセイなのでぜひご一読を。
新演時代の仲間については、
"皆で何かしようという時、何となくリーダーシップをとるのが~"杉浦直樹、
"「僕は演技するとき、その人の皮の中に入っちゃうんだ」という名言を思い出す~"小松方正、
"少年の面影を残し、アドニスか匂の宮かという実に美青年だった~"寺島幹夫、
"天衣無縫の詩人"良平さん、などその後も活躍する俳優たちの若き日の姿が活写されており楽しく読みました。
三條さんが"みんな忘れられない"と書くのが良平さんの"ハチマキで勇壮に踊りまくる正調大漁節、ロマンティックに甘くうたう「ぐみの木」~"です。
さっそく調べてみたところ、正調大漁節は故郷・銚子で長く歌い継がれているものですが、
「ぐみの木」は1950年代に日本で歌われていたもので『ウラルのぐみの木』、『小さいぐみの木』と2つあるようなのです。
タイトルは似ていますが『ウラル~』は1953年以降ロシアで発表されたもの、
『小さい~』はロシア(ウクライナ説あり)民謡だそうです。
『ウラル~』は二人の若者の間で揺れる女心、『小さい~』は男女の悲しいすれちがいをうたっています。
いずれも劣らぬ美しいメロディで、日本語の訳詞も格調高く素敵な歌です。
管理人は『小さい~』をロシアの俳優さんが女性歌手とデュエットしている動画が映画のようですっかり気に入ってしまって、良平さんだったらどんな風に歌ったんだろうと思うのですが、
『乙姫様の玉手箱』(潮出版社・1984年)に出てくる、良平さんの少年時代の"キクヨ"のエピソードを読むと「ぐみの木」=『ウラル~』かなーと想像してしまいます。
どちらも恋多き良平さんの胸に迫る歌であったことでしょう。
日本語歌詞や実際の歌は動画サイトにいっぱい上がっているのでご興味のある方は探してみて下さいね。
非常に残念なお知らせです。
今月初旬、藤田順弘さんが交通事故でお亡くなりになったそうです。
藤田順弘さんの動向は「劇団ぱれっと」さんがシャンソンの舞台のお手伝いをされていることをblogに載せており、今までのご活躍や今後のライブの予定がわかるので時々見ていたのですが。。。
※藤田順弘さんと良平さんの関係やレコード『イソップなんかこわくない 内田良平童謡集』制作経緯については劇団ぱれっとさんのblogにあります。
最近では東中野ドラムでのライブを月一回、開催されていて何度か行こうとしていたのですが、予定が合わず先送りにしていたのが悔やまれます。
今年春にお店の方から藤田順弘さんのご連絡先をうかがって、ライブの終了時間についてご本人へ直接お電話してお聞きしたことがあったのですが、80歳半ばとは思えないほど張りのある、お腹から出ているとわかるしっかりとしたお声で、流石プロの歌手の方は違うと感心したものでした。
藤田順弘さんのライブの様子はYouTubeに多く上がっているのでご覧になってみて下さいね。
来年2023年1月と2月は良平さんの28歳当時の大変貴重な映画が観られます。
『人生劇場 第一部』1952年『人生劇場 第二部』監督は佐分利信。
ラピュタ阿佐ヶ谷さん、国立映画アーカイブさん、ありがとうございます!感謝!!
スチール写真で見た早稲田大学大隈講堂を背にしている良平さんは超絶麗しい美青年。
ずっと観たい観たいと思っていましたので嬉しいです!
演じる吹岡早雄役は大学を出て新聞記者となり、文学の道を志すようになるのですが、その設定だけでも知的な良平さんにぴったりの役どころ。
全国の内田良平ファンの皆様、お見逃しなく!
2022年10月27日(木)21時~ 第五話「やさしい男」時代劇専門チャンネル
本作は良平さんのテレビドラマ遺作となった作品です。
撮影時期は不明ですが、放映は亡くなる1か月前。
1982年に病気で片手が動かなくなっているので、どんな演技をされていたのかずっと観たいと思っていました。
この日しか放映しないようなので録画します!
レコード『イソップなんかこわくない』で歌を担当されている藤田順弘さん。
良平さんと同じ、銚子のご出身のシャンソン歌手です。
もともとは俳優志望だったので良平さんの主宰する演劇研究所にいらしたのだとか。
80歳を越えた今でもお元気で都内各地でライブをやっていらっしゃるそうなのですが、7/17(日)『八王子パリ祭』(八王子クリエイトホール)に出演されることがわかりました。
毎年主催されているとのことですが、昨年はコロナで中止になったので、今年は開催が決まって本当に良かったです。
今から楽しみですね!
↓当日司会をされる、歌手のみやざきすみこさんのblog↓
https://ameblo.jp/sumimiya0318/entry-12747482558.html
良平さんの新演劇研究所時代の恩師・下村正夫先生と武智鉄二が学生時代からの友人だったこと、
新演劇研究所の舞台パンフレットに武智鉄二が寄稿していたことは前に書きましたが、
良平さんについて武智鉄二がどんな評価をしていたか知りたく思い、資料を探してみました。
そこで見つけたのが舞台パンフレット1968年10月公演『双頭の鷲』。
丸山明宏(現・美輪明宏)主演です。
良平さんの欄で、"良平さんの横顔"と題して武智鉄二が書いていましたので紹介いたしますね。
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~(略)~世間の人は、大部分、良平さんのことを、~(中略)~映画のスターとして、また、テレビのタレントとしてしか認めていないようである。
しかし、私などは、より以上に、役者としての良平さんを認め、期待している。良平さんが、新演時代、「真空地帯」や「検察官」で示した舞台、その演技、役者ぶりは、いまも目に残っている。
そのころの、良平さんの先生は、世にもうるさきスタニスラフスキー派の頭目、下村正夫であった。~(中略)~
このうるさき下村正夫に、骨の髄からスタニスラフスキー・システムを叩きこまれ、あれだけの名演技を示した内田良平が、世の並みの俳優であろうはずがない。
下村の愛弟子とあれば、私にも、同族のような気がしてならない。いつかいっしょに仕事をしてみたいと、かねてから念願していたものである。
その思いがかなって、私の映画「幻日」で、主演してもらった。~(中略)~主役の良平さんの役は、能面師という難役で、役柄の理解もたいへんむつかしいものなのだが、良平さんは、この手のつけようもない難役を、みごとに演じこなしてくれたのであった。
このように、難しい役であればあるほど、多々ますます弁ず、うまくやりこなす良平さんであるが、それでいて、晦渋におちいらず、役者らしい色気、むんむんする男らしさをただよわせているところが、良平さんの魅力であり、スター的素質といえるだろう。
この精神のみずみずしいまでの若々しさ、これは本質的に詩人であることに由来しているのかも知れない。彼は詩を作るし、また、このような詩的言語も口ずさむ。私はこのようなせりふが、「幻日」撮影中のヨットの上で、彼の口から洩れるのを聞いた覚えがある。
「海は静かだなあ・・・海も夜は眠るんだなあ」
女の子にも、もてるわけである。
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半分やっかみ?冷やかしたような一文で終わるのが笑ってしまいますが、歯に衣着せぬ厳しい舞台評論家でもあった武智鉄二が良平さんをほめているのは嬉しいですね。
あらためて『幻日』を観てみたくなりました。
難解な映画です。。武智鉄二が映画で何を主張したいのかずっと考えていたんですが、
『芸術至上主義に走ると妻を寝取られるぞー』これって武智鉄二の体験から・・・?!たぶんちがうだろうなあ。
もとい『日本の伝統芸術は風前の灯火である』
『他国から侵略を受けるということは伝統芸術も滅ぼされる』
ということかなあと。
単純過ぎる見方だよなあと思いますが、そう解釈するより仕方なくて。
興行収益を意識せざるを得ない映画会社がつくる映画ではないので、はっきり言って面白くはありませんが、『砂の女(1964年)』を撮った勅使河原宏監督のようにもともと映画作家ではない人がそれまでの人脈や思想、経験をつぎこんで作った映画、と観ると興味が持てると思います。クレジットされているスタッフで音楽の人の多さと下着デザイナー鴨居羊子さんの名前に驚きました。
最初の良平さんが彫った能面が生身の人間の女(柴田恒子)になって立ち上がって舞うところは非常に自然な流れに見えて、違和感がなく映画の世界にすっと入っていけました。
後日blogに詳細を書きますが、武智鉄二は能や歌舞伎の専門家で、歌舞音曲が迫害された戦時中でも私財(実家がかなり裕福だったらしいです)を投じて歌舞伎俳優を支援したという筋金入りですから、この場面だけでもかなりきっちり指導したのではないかと思います。
柴田恒子は美人とは言えないのですが、何かの折に美しく見える瞬間があって、華奢な体型で声もきれいで儚げな幻の女のようで良かったです。
後半は良平さんが彼女の脚を背中で逆さにかついで砂丘を歩くのであんまりグラマラスだと、観客が胸ばかり見ちゃいますからね。
砂丘(『砂の女』ロケ地と同じ浜岡砂丘)のシーンはまんま『情婦マノン(仏・1950年日本公開)』なんですが、良平さんのエキゾチックな風貌はピタリ合ってました。
で、そもそもなんで良平さんに話がきたんだろう?
歌舞伎→松竹、松竹→良平さんは1960年代後半に松竹映画によく出てるけど、他にもどこで接点が?と手持ちの資料を見ていたら、映画デビュー前に所属していた劇団「新演劇研究所(新演)」の観劇パンフに武智鉄二が寄稿しているではないですか。
新演の主宰、下村正夫先生(良平さんの恩師ですので管理人も下村先生とお呼びします)と武智鉄二が大学の同級生だったそうで、卒業してからも交流があったそうです。
本作のキャスティングの経緯について載っているものが見つからないので想像するしかないのですが、おそらく撮影中は下村先生の話を二人でしていたんじゃないかなあ。
武智鉄二については、次回書いてみますね。
待ち望んでいたこのとき!やっと観られました!
折角の貴重な機会ですからがんばって二回観ましたよ。
1967年の『エロチシズム芸術と武智映画作品集』の誌上封切という写真と台詞の脚本のようなページがあるのですが、管理人が観たバージョンでは結末が少し違ったり、誌上には出てこない場面もあったりしました。
もしかすると複数のバージョンがあるのかもしれません。
今度いつ上映されるかわからないので、備忘録としてあらすじを書いておきますね。
↓あらすじ↓
・(あまり豊かとはいえない狭い家の中)女の能面を彫る庄太郎(内田良平)。
・妻(川口秀子)は乳飲み子をおぶい、立ったまま食事。
・2人の間に会話はなく妻の表情から夫婦仲は冷めている(?)らしい。
・庄太郎は芸術至上主義なのか赤ん坊が泣いても顧みない。
・庄太郎の作った能面の女が現実の女になり、立ち上がって舞う。
・能面の女に魅せられる庄太郎。
・(行きつけの喫茶店で)庄太郎がパナマ帽をマスター(津崎公平)に褒められる。
・店の鏡に映った女客(柴田恒子)が自宅で見た能面の女に見え、魅入られたようにパナマ帽を店に忘れたまま幻想の世界に入る。
・(ナイトクラブ)先ほどの喫茶店の女が歌っている。
・♪日が出るでしょう♪百年、私の墓のそばでまっていてください♪真珠貝を墓に立てて下さい♪
・(ナイトクラブの控室)坊主頭の男(役名ボス・津崎公平の二役)が女を拷問する。
・ボス曰く、『米軍がベトコンの女に拷問したやり方と同じだ』
・倒れる女にたくさんの真珠を乗せるボス。
・女が立ち上がると総真珠のワンピース姿になる。
・女を救い出す庄太郎。
・『重いですよ』と謎の微笑を浮かべる女。
・(夜の路上)女を背負って歩く庄太郎。
・『今に重くなりますよ』女の言葉通り急に女が重くなり、倒れ込んでしまう庄太郎。だが必死で女を背負って歩く。
・(夜の港)海に着くと女は100年前この場所で庄太郎に殺されたと庄太郎に話す。
・庄太郎の100年前の記憶がよみがえる。
・(回想シーン)笑いながら女の首を絞める庄太郎。
・庄太郎は後悔し、今度は自分が守るからと女に泣きながら謝る。
・(昼間の海上)坊主頭の男(ボス)に船の上で縛り付けられる庄太郎。遠く離れた海面からボートで追いかける女。
・時間通りに追いつけなかったらこの男を殺すと女を脅すボス。
・女はへとへとになるが、服を割いて海水に浸し、顔まわりを冷やしているうち、幻日(太陽が2つに見える現象)がきっかけで船に追いつく寸前まで漕ぐ。
・(船内)アナウンサー(川口秀子の二役)が無表情で"60秒"と読み上げる。
・しかしあと数秒というところで間に合わなかった。
・ボスは庄太郎を海につきおとした。女も海に飛び込んだ。
・(神社)妻に庄太郎の死を告げるマスター。庄太郎が喫茶店で忘れていったパナマ帽を妻に渡す。
・(浜辺)倒れている庄太郎と女。庄太郎が女を抱き起すと砂丘のてっぺんで真珠貝で砂を掘って埋めてほしいと女から頼まれる。
・女は死んだ。
・必死で砂丘のてっぺんに女を引きずっていく庄太郎。
・あとちょっとというところで女の死体が斜面を転がるがなんとかてっぺんまで運ぶ。
・突然死んだ女の指が天から砂浜を指す。砂浜には真珠貝が光っていた。
・走って斜面を降りて真珠貝を取りに行き砂を掘る庄太郎。
・女を埋めて真珠貝を墓標とする。
・(ぐるぐる巻かれた鉄条網の天井の下)妻が男に抱かれている(寝とった男(喫茶店のマスター)は顔は見えない)ところに爆撃のような音がかぶさる。
・黒いカラスが庄太郎の腕にくるが女の生まれ変わりでは無い!と放す。
・気づくと百合の蕾が墓標の横から伸びていた。
・太陽の光を浴びて開く花。
・女を埋めたところを掘り返し百合の花を抱いて砂に埋もれていく庄太郎。
・終わり
※管理人が観たのはこのラストなのですが、上述の『エロチシズム作品集』には、若い民族芸術家が流木を拾って掘っていくと能面が出てくるという場面になっていました。
長くなるので次回に感想などを書きます。
びっくりしました~!
なんと、沢島忠監督・脚本『間諜』がYoutubeで
2022/4/16(土)19:00~2022/4/30(土)18:59観られます!
https://www.youtube.com/watch?v=GkGaMA3xZ7A
ほんとうは映画館の大きな画面で観てみたいけど、Youtubeなら何度でも繰り返し観られますね!
井川徳道の素晴らしいセット、伊部晴美のフランス映画のようなお洒落な音楽、流石の沢島監督のテンポよい演出、何回観ても新しい発見があって飽きません。
脚本を読む機会があったので、後日脚本との比較でこの作品を語ってみたいと思います。
うわー!
思わず声が出てしまいました!
良平さん主演『幻日』武智鉄二監督・脚本が国立映画アーカイブで上映されます!
脚本を読んだことがあるのですが、難解過ぎてイメージがつかない。。汗
武智鉄二といえば、管理人が観たことがあるのは『白日夢』。
佐藤慶さん目当てだったのですが「佐藤慶さん大変だったろうな。。」「なんでこんな同じような場面をえんえんと流すのか??ずっと観るの辛い。。」という印象しかありません。。
が、『幻日』は数少ない良平さんの主演映画!
心して観たいと思います。
東映映画好きな方には宝箱でしょう!
京都太秦の映画村の入口にあり、図書室だけでしたら無料(素晴らしい(^▽^)/)で利用できます。
閉架式で閲覧したい資料を検索で事前申請しておけば、きちんと出してくださいます。※脚本のコピーは不可だそうです。
なんと、未VHS&未DVDの作品をテレビ放映時の録画を観ながら、その場で脚本を読むなんていう贅沢ができるんです。
管理人がチョイスしたのは『天保遊侠伝 代官所破り』(1965年・山内鉄也監督)。
良平さんの演じたベスト5に入るくらい良い役!良平ファンは必ず観るべし!
脚本と比較して観たところ、いろいろ面白い発見があったので、後日blogにアップしますね。
事前予約制でごくわずかな人数しか利用できず、土日祝日&年末年始が休室となかなかハードルが高いですが、
コロナが終息した暁にはぜひ行かれてみてください。
利用時間に限りがありますので、閲覧希望資料は厳選してくださいね。
あれもこれもと欲張ると大変なことになります。。^^;
今年の夏まで新宿ゴールデン街のバー『ひしょう』のママさんだった方。
写真家であり、新宿のマリアと呼ばれた女傑です。
日活の編集部にお勤めだった頃、良平さんと出会い、恋人になったとか。
写真集『新宿-ゴールデン街のひとびと』(2018年/七月堂)、聞き書き『[増補版]新宿、わたしの解放区』(2017年/寿郎社)を読んだ時はとてもじゃないけど平静でいられず、キーッと頭に血が上り(単なるおバカなファンの嫉妬です)何度も本を伏せてしまってまともに読めないでいました。
良平さんが女の人を語るのはご本人のエッセイや雑誌記事などでいくつも読んでいますが、お相手の女性たちが語る言葉は雑誌記者のフィルタをかけたものばかりで、マスコミの嘘もあるし話半分だよなーと思っていたのですが、実際のお相手の言葉となると生々しすぎて...。
『絶対一生ぼくから離れるな』そんなこと良平さん言ってたんだ...。なんと羨ましい。でも...。
親に死なれた後には嬉しい言葉だけど、あまたの恋人がいる男に言われてもねえ..。
佐々木さんも複雑なお気持ちだったことでしょう。
良平さんから『身内のような気がする』と言われた程の方ですから、知的で他人の気持ちを察せる繊細さのある女性なんだろうなとは想像していましたが、波乱万丈な人生をたぐいまれな行動力と精神力で乗り越えていらした方なので、きっと厳しくて怖そうかも、『ひしょう』をいつか訪ねてみたいけど、生半可な気持ちでいたら叱られそう...と尻込みしていました。
最近になって、このコロナ禍でお店はどうしていらっしゃるのか、ご本人はお元気でいらっしゃるのか急に心配になり、ネット検索してみましたら、今年7月でお店は閉められたそうなのですね。
暖かい地域がお好きだそうですし、ご高齢でもあるので以前住んでいらした伊豆大島にお戻りになるのかな、残念、もうお会いできないのかしら...と思っていたところ、NHK『逆転人生』に昨年3月にご出演なさっていたことがわかりました。
ドキュメンタリー仕立てにして佐々木さんのこれまでの人生を室井滋が演じていましたが、出ていらしたご本人はとても穏やかで優しく控えめな感じの方。
若くして離婚したのち上京して一人で新宿伊勢丹裏で屋台を引く⇒お客の紹介で日活の編集部に勤務⇒良平さんと出会う⇒報道写真家として学生運動に関わりつつ学生を匿い、警察の尋問を受ける⇒新宿のバー『むささび』や高級クラブ『ゴールデンゲート』のママ⇒南米に渡り、私設図書館開設⇒お兄様の介護で伊豆大島へ移住⇒新宿ゴールデン街『ひしょう』のママ(80歳過ぎてからというのが凄い!)へと目まぐるしくヴァイタリティ溢れる人生を送ってきた方にはとても見えません。
あまり体が強くないとおっしゃられ、ペースメーカーまで入れておられるそうで、この細身のお身体のどこにそんな力があるのでしょうか。
実は、管理人は『新宿、わたしの解放区』を平静に読めていなかった(汗)ので、この放送で佐々木さんの原点となった、一番上のお兄様の軍隊でのリンチ死のこと、上京して屋台を引いていた時に周囲の人々の優しさと人間味に惹かれ、それが人への目線の暖かさの根本になっていることを初めて認識しました。
人を肩書で判断するということをなさらず、ありのままを受け止めるという、大人になるとなかなかできそうでできないことをおやりになる、だから佐々木さんの周りには多くの人が集まってきて、『マリア』と呼ばれるようになったのでしょうね。
佐々木さんは1994年『新宿発アマゾン行き―女ひとり、異国で開いた小さなバーの物語』文藝春秋という本も出されています。
改めて『新宿、わたしの解放区』と合わせてじっくり読んでみましょう。
【10/25後記】
その後どうしたかしら。。?とネット検索したら、変わらずお元気でお暮しでいらっしゃることがわかりました。
写真集や本も出される計画もあるとか。
なんと素晴らしい!楽しみですね。
すごーい!AmazonPrime!
ポスターの良平さんがかっこよすぎでずっと観たかった『鉄火場慕情』
竹中労【聞書アラカン一代】で知られたエピソードの嵐寛寿郎の南大東島ロケ行きのきっかけになった『東シナ海』
草津温泉付近のかつてあった鉱山の風景がカラーで見られる『紅の銃帯』
などなど、ずっと観たかった作品が目白押し!
日活系の作品はチャンネルNECOがやってくれるはずなのに、最近ほとんど1950-1970年代の映画が放映されないので、がっかりしていたのですが、よかったです(^o^)
↓タイトルをクリックするとAmazonPrimeに飛びます↓
『鉄火場慕情』1970/2/21公開
『東シナ海』1968/10/5公開
あと観たいのは、竹脇無我主演の1960年代後半の一連の松竹映画、青雲やくざシリーズですね。
衛星劇場とかどっかの名画座でやってくれないかなあ。。
悲しいニュースでした。
9/7、歴史家の色川大吉さんが95歳でお亡くなりになりました。
色川さんは良平さんの映画デビュー前に入っていた新協劇団で出会い、新演劇研究所を立ち上げられ、終生良平さんと親交を結んでいた方です。
色川さんの『自分史』では何度も良平さんのことをお書きになっておられ、深い愛情が感じられます。
良平さんとの出会いについては、小学館『カチューシャの青春 昭和自分史 【一九五〇-五五年】』2005年発行で詳しく書かれているので興味のある方はお読みになってみて下さいね。
八ヶ岳山麓に転居されたあとも精力的に執筆活動をお続けになり、ご病気で長期入院されたこともあったそうなのですが、昨年の敬老の日には新聞にインタビュー記事が出ていましたので、車いす生活であることはわかったものの、お元気な姿を拝見して安心していたのですが...
色川さんについては、また後日書きます。
千葉真一といい、良平さんにかかわりのある方が亡くなるのは仕方のないことですが、寂しいです。
DVDも出ていますが、映画館の大きなスクリーンで観てほしい映画。
ハリウッドの『シェーン』のような、随分だだっ広い日本離れした場所だなあと思ったら、島根県の三瓶山山麓でロケしたのだそうです。
最初に宍戸錠が馬から降りて水を飲んでいるうちに銃撃される場面は長野県軽井沢の白糸の滝でしたが(笑)
強い印象を残す重厚な造りの白木の吊り橋、厚い壁のようにそびえたつ三瓶山のふもとに輝く小さな池など、今でもあったら行ってみたくなるような美しい風景が数多く登場します。
良平さんが登場するのを待ちながら、ぼーっと観光ガイドフィルムのように観てしまいました。
良平さんが悪役の日活映画は皆同じような映画だなあと、楽しみどころとしては衣装だったり、ロケ地がどこか考えてみたり。
なのであまり大した感想もなくてすみません(m(__)m)
やっと出てきた良平さんは宍戸錠やその友人の小高雄二に恨みを抱いて二人を追ってくる男。帽子・シャツ・ズボン・ブーツすべて黒づくめでかっこいい!
『日活の中で一番印象に残っている』『一番精悍な時だな』と梅林敏彦氏のインタビュー「アウトローに挽歌はいらない スクリーンにはじける男たち」で語っていた映画です。
(2016年9月の旅の記録です)
良平さんは本当に故郷が大好きだったようで、ちょくちょく里帰りをしていたようです。
雑誌の取材でも熱く語っていましたし、自伝的小説としてまとめて世に出るはずだった多くのエッセイの中に故郷にまつわるエピソードが見られます。
良平さんの愛した銚子はどんなところなのか?
これはファンとしては見ておかないと!
泊りがけで行ってきましたよ。
銚子市立公正図書館で、戦前と戦後の市内の地図を見せていただいたのですが、銚子は空襲に遭っているのと、戦後は開発で丘陵地が削られて平らになっているので、良平さんの子供時代とはだいぶ違っているようです。
よくわからなかったのが、良平さんの子供時代の遊び場『ゲンバ山』。
甥っ子でお弟子さんでもあった、江樹一朗さんが銚子電鉄に一緒に乗って、『ゲンバ山』を見るという場面がエッセイ集「乙姫様の玉手箱」に出てくるので、まだあることはわかっていましたが・・
具体的にはどこのことなんでしょうか。
地元出身というタクシーの運転手さんに聞いても首をひねられてしまい、もしかしてもう削られて無いのかなあ、などと残念に思いつつ、銚子電鉄の駅を降りて足の向くままに歩いていたら、駅から大分離れた住宅街で迷子になるはめに。
もうあと一時間くらいで暗くなる時間ですし、スマホの電池は今にも切れそうで、歩いている方も見当たらず、道を聞けそうなお店も無し。
帰る日でしたので、仕方なく来た道を戻って駅に行くことにしました。
歩いていくうち、駅方向の道標が立っていたのでそちらの方に行ってみたところ、小学校があります。良平さんの卒業した小学校からは線路を挟んで南側です。
ここで気づいたのですが、この小学校の場所は狭い丘になっていて、小学校の前の小さな木立の隙間から飯沼観音が見下ろせるのです。
『ゲンバ山』からは飯沼観音が見下ろせた、とエッセイにあります。
あたりを見まわしたところ、飯沼観音を見下ろせる高台はここしかありません。
もしかして、とても狭い丘だけど、ここがそう?
もしかして、天から見下ろしていた良平さんが「しょうがないなあ、教えてやるかあ」とファンに教えてくれた?かな?
きっとそうだ。
木立に初秋の夕日の光が差し込む中、観音様に向かって手を合わせている自分がいました。
良平さん、観音様、ありがとうございます。
これで帰れます。
また来ますね。
~後日談~
2016年当時、ゲンバ山⇒玄蕃山でネットで探しても全然出てこなかったのですが、今は銚子がジオパークになったためか、たくさん出てきますね。
場所は合っていました。
あのときは、やはり良平さんが教えてくれたんだ、とファンとしては思いたいです。。
「小林旭 デビュー65周年記念 日活DVDシリーズ」で
5/7『地球40度線 赤道を駈ける男』(1968年公開)が発売されるそうです!
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000554.000031422.html
良平さんはどういう役どころかわからないのですが、監督・脚本は良平さんが敬愛していた斎藤武市監督、美術は佐谷晃能さん、キャメラマンは山崎善弘さんとベテランスタッフに囲まれているのですね。
なかなか映画館でもかからないので楽しみにしています!
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またまたラピュタで観てきました。
良平さんご出演の日活映画はいつも似たようなストーリー、似たようなキャラ設定で何がどの映画なんだか、観ているこっちも、おそらく製作側もごっちゃになってたのじゃないかと思うような作品ばかりで、強烈な印象を残すのが少ないのですが、この作品は良かった!
これぞ映画というダイナミックなシーンがたくさんあって楽しめました。クライマックスの採石場爆破は大迫力で大きなスクリーンで観られて良かったなー。
山口県で2週間ロケしたそうで、有名な錦帯橋、湯田温泉、秋吉洞、秋吉台など山口県の著名な観光地の60年前の様子が観られます。
今作の良平さんはとにかく徹底して冷酷無比なヤクザ。
子分の高品格を運転席から対向車の前に突き落とすわ、売り飛ばす女達を人間扱いしないわ、殺人の現場を目撃した人妻(岩崎加根子の訛り良かったわー)を出獄後も執念深く追い回して殺してしまうとか。
良平さんの日活作品でここまで同情の余地のない悪い役も珍しいのでは。
でもですね、全国の内田良平ファンは見るべき!
とにかく良平さんがクールで素敵すぎるのです・・。
こんなカッコいい悪役いるのかしら?
いやーたまらん。
あと、西河克己監督ってこんなお洒落なカットを撮る監督なんですか?
山口百恵映画の監督というイメージしかなかったんですが。
それともキャメラマンの岩佐一泉さんなのかなあ、所々フランス映画を見ているような場面がありました。
で、繰り返し観て確かめたいので、日活さんにお願い。
DVD化かチャンネルNEKOなどケーブルテレビの放映をしてください!
お願いします!
ラピュタの日活のバイプレーヤーに焦点をあてた特集で観ました。
主演の小高雄二(超美男なのにね!)が気の毒になるくらい脇役が光っている一作なので、この特集にぴったりですね。
ちょっと顔が長いけど色気ある垂水悟郎&頭の弱い高品格の脱獄囚コンビに、余裕あるベテラン刑事の大坂志郎、気の良い若衆の榎木兵衛(顔からして決して上流階級の役はやらないですが、一般の人かと思うほど庶民の役の上手い俳優さんですよねー)。
良平さんは垂水悟郎の弟分だったのに、彼が懲役に行っている間に彼の女をモノにしてシマまで奪っていたので撃たれてしまう役。
撃たれる直前、カーテンに隠れるのですがニヤッと不敵に笑うお顔がカッコいい!
(カーテンの後ろに行ったら撃たれるに決まっているのにどんな演出の意図なんだかわからないんですけどね)
管理人は良平さんばかり注目していたので、最初分からなかったのですが、垂水悟郎も素敵!宇崎竜童を二枚目にした感じで。
考えてみたら良平さんも垂水悟郎も悪役枠なので、二人が対決する場面は珍しいのですね。
一緒に出演した作品は他にもあるのでチェックしてみたいと思います。
三條三輪さん作・演出&ご出演の『731の幻想』。
行ってまいりました!
言わずと知れた731部隊を題材に三條さんが戯曲にした作品です。
さすが三條さん、コロナ禍に当ててきたのね、今のご時世に物申すという感じかしら?と思ったのですが、なんと上演決定が昨年の11月だったとのこと。
ご自分でも肌寒い思いがすると書いておられました。
物語は中国残留孤児の女性(三條さん)の両親探しを雑誌記者がしていく中で731部隊の軍医が父親だったのではないかという疑惑につきあたり、当時を知る人々へ取材していく中、731部隊や戦後の米軍の406部隊で医学者として生きていくことについてその軍医の心の葛藤が明らかになっていくという筋立てです。
ラストの軍医と同僚との『人間を救うための医学は全てに優先するのか?』の論争は現職の医師として三條さんも突き当たった問題なのでしょう。非常な迫力が感じられました。戯曲は出版されているので後日読んでみようと思います。
今回のキャスト・スタッフの中で、青春時代を戦禍で過ごしたのは三條さんただ一人。
当時の状況を肌で知る方の作・演出ですから現在では貴重です。
『戦争を知らない若い役者さんたちが演出の無理な指摘に耐えて、よく頑張って下さいました』とありますが、知らない世代にご自分の体験を伝えようとする三條さんこそ大変な思いをされたのではないでしょうか。
今回の三條さんは昨年秋の公演よりも少し声が小さくなって、立って台詞をしゃべる時は壁の支えを必要とする感じでしたが、最後の挨拶では普通に立っておられましたので、芝居中は念のために壁を支えとされていたのだと思いました。
次回の公演が楽しみです。またお元気な姿を拝見したいです。
素晴らしいお知らせ。
松竹でデビューする前の良平さんが在籍していた新演劇研究所で、一緒に舞台に立っておられた、三條三輪さん。
9月3日~6日、ご自分の脚本演出で舞台に立たれます!
※三條三輪さんについて管理人が書いたblogはこちら
↓三條さん主宰の劇団ぐるうぷシュラHPより↓
https://www.nijikikaku-siyura.jp/cont4/main.html
虹企画/ぐるうぷ・しゆら 95回公演
檜山良昭 原作「細菌部隊の医師を追え」より
『731の幻想』
9/3(木)19:00~
9/4(金)14:00~、19:00~
9/5(土)14:00~
9/6(日)14:00~
劇場 雑游 (新宿区新宿3-8-8 新宿OTビル1F)
料金 前売 3800円(日時指定)
当日 4000円
このコロナ禍のさなか、どうしていらっしゃるかと案じておりましたが、ほっとしました・・。
楽しみにして待ちたいと思います。
↓この戯曲『731の幻想』はテアトロ2020年8月号に掲載されています。↓
"平和が好きだ 戦争体験者だからな"
小林旭のホステス引き抜き屋をつけ狙うヤクザのボスである良平さん。
旭の弱みを探るよう部下に命令するシーン。
特にストーリーに関係のない、こんなセリフが何故出てきたのだか。
脚本は成澤昌茂氏。(『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975年公開)でこんな格好良い人が脚本家?とびっくりさせられました)
Wikipediaで調べたところ、良平さんと同世代の1925年生まれ。1944年に学徒出陣したそうです。
良平さんも自著の中では戦争体験については意識的になのか語っていないようなのですが、戦後法政大学の友人たちと編んだ『浪曼群盗』誌では陸軍での辛い体験を綴った詩を載せています。
この台詞は二十歳前後で戦争に行かねばならなかった複雑な思いを良平さんのヤクザに託したのでしょうか。
そう思って観るとこの作品、小林旭サイドに加えられる暴力が過剰なまでに凄惨なのです。子分の川地民夫が腕を折られて再起不能になる場面、愛妻の山本陽子が轢かれて壁にたたきつけられる場面。
戦争のように理不尽な暴力にあうのです。
クライマックスの小林旭が殴り込む場面では良平さんの子分がお間抜けぞろいで良平さんもあっけなく死んでいくのですが、そこは娯楽映画としてバランスをとったのでしょうかね。
他の成澤脚本の映画も観たくなりました。
動画サイトやテレビ、映画館ではなかなかやらない作品もあるので、発売日をチェックしてこまめに集めていた石原裕次郎シアターDVDコレクション(朝日新聞出版)。
この中に良平さん出演作品は5作品。
第11号『零戦黒雲一家』
炎天下で暑そうなのに毛皮はおってる良平さん。
荒くれ男の役なんだけど笑顔が無邪気でなんかかわゆい。
第27号『男の世界』
超美男俳優だった小高雄二が裕次郎の取り巻き的な役になっているのがショックで良平さんの印象はあまりない(汗)。
第38号『嵐の勇者たち』
良平さんが全てをかっさらった映画。
ファンとしては嬉しい1作。
第56号『男が命を賭ける時』
日活に出演し始めた頃だからなのか、出演はちょびっと。
第76号『白銀城の対決』
一瞬だけ良平さんご本人がスキーで滑る。
珍しく悪役でないけどすぐ死んじゃう。
これはDVDだけでなく、上の写真の表紙でA4ぐらいの薄い冊子が入っていて、出演者紹介、撮影風景写真、関係者インタビューなどがあって、良平さんがいつとりあげられるかと楽しみにしてました。
特に第38号『嵐の勇者たち』は良平さんが大変良い役なので、ちゃんと紹介があるだろうと思ったら無し。
まあ、でもこのあと何かの機会に出るだろうと思っていたのですが、今月の第76号『白銀城の対決』の出演者紹介を見てがっくり来ました。
欄の大きさはいいのですが、紹介文はウィキペディアに載っていることを丸ごとコピーしてきたとしか思えません。
あと、輪にかけてひどいのが写真。
この『白銀城の対決』のコマからひっぱったとのことですがボケボケで話になりません。
こんなにボケた写真なら載せない方がましだと思いますけど..。
出版社はこういうのを出してよいと思っているんでしょうかねえ。
76号で良平さん出演作品は終わりですから、今後紹介は無いものと思いますが、がっかりしました。
安いものですからしかたないのでしょうかね…。
つくづく良平さんは松竹から日活に出てよかったなーと思います。
『張込み』の澄んだ眼の犯罪者の青年、
『壁あつき部屋』の社会主義に傾倒していく弟(管理人お気に入りの役)、
『この広い空のどこかに』の分別のある幼馴染、
『顔』のシニカルな新聞記者(ピッタリはまってた!)、
『顔役』(高千穂ひずるが最高!)のチンピラ、
幅広くいろんな役を演じていたのですけどね。
しかし、やはり松竹は女優さん中心主義。あくまでも男優は引き立て役。
そのままいても良平さんの個性は生かせなかったでしょうね。
今作では、桑野みゆきを監禁しつつも愛してしまう津川雅彦を追う刑事役。
同時期の日活では悪役で出ていた頃ですし、てっきり誘拐犯の一味か悪徳刑事かと思っていましたが、職務に忠実なあまり殉職してしまうのですね。
クライマックスで工事用ロープウェイにつかまって津川雅彦と空中でもみあいながら正義について語るのですが、良平さんじゃなくてもいい役なんじゃ?という感がしなくもない。
もしかして顔の濃さでつりあいとったってことかしら。
1960年12月13日読売夕刊に当時の軽井沢ロケ取材が載っています。
『アクションのなまなましい重量感を出したいというのが井上監督のねらいで、カットを細かく割って迫力を出すふつうの方法をさけスタンドインでない本人のアップから長いカットでつづけて、危険ともいえる演技を要求する』
というので、どんな映画かと期待していたのですけどね。
残念なことにロープウェイで吊り下げられている間の背景は合成でした…これがまたひどすぎる・・(泣)
他の会社だったらもうちょっとましな合成ができたでしょうに。当時のお客さんも白けてしまったのでは。
せっかくの正月映画なんですからも少し頑張ってもよかったのではないでしょうか..。
おそらく日本で最高齢の現役舞台女優&現役女医である、三條三輪さん脚本主演の舞台『女優』を観てきました。
三條三輪さんは、良平さんが映画デビューする前の新演劇研究所で同じ研究生だった方。
新演劇研究所に在籍していた方で、管理人の知る範囲では今でもご健在なのは歴史家の色川大吉氏とこの三條さん。若き日の良平さんを知る、大変貴重な存在です。
三條さんの『三條三輪戯曲集 2 聖都市壊滅幻想』(1999年 カモミール社)の"自伝的エッセイ 女優と医師の二足のワラジ"では、新演劇研究所時代の思い出として、良平さんが"銚子大漁節"、当時流行ったロシア民謡の"ぐみの木"をよく歌っていたと書かれています。
三條さんはご自分で虹企画・ぐるうぷシュラという劇団を舞台俳優&劇作家の跡見梵さんと長年率いておられ、今回の公演が93回目、劇団のホームページを見ると現在は年に2-3回公演があるようです。
1950年代、新演劇研究所に入所と同時に医師になられ、今でも現役、約70年の長きにわたり女優(演出&脚本も!)と医師の二足の草鞋を履いてきたと言いますから、そのパワフルさには驚嘆するしかありません。
公演パンフレットによれば、『女優』は、1996年初演で今回が3回目の公演だそう。
売れずに年老いて生活保護を受けている女優が病院のベッドで演じたかった役を夢見て、医師や看護婦を共演者として巻き込んで、サロメ、ラネーフスカヤ夫人(櫻の園)、オフィーリア(ハムレット)など演じていくという内容。
三幕で演出家への恋情や役を盗っていく若い後輩への嫉妬、母への慕情が語られます。
ご本人は特にモデルもなく全くの空想で、とパンフレットに書いておいでですが、新演劇研究所時代、どうしてもきれいな服が着たいからと役柄にあわない豪華な舞台衣装を着てしまって演出家の先生から呆れられたという、エピソードをもつ三條さんらしく、主人公の内面は三條さんにかなり近いのではないかと。さすが女優さんです。強烈な自我を感じました。
お声は高く、綺麗で、お年を考えるとよくあんなに声が出るなと感心します。
さすがに段差を上り下りする時はゆっくりとつかまり立ちされておられましたが、サロメの踊りで脚をまっすぐにあげてポーズをとったときは驚き!また2回休憩があるとはいえ、1時間半以上も出ずっぱりで3日間4回の公演をこなすとは!
良平さんと同じ時代を生きた方が元気に活躍しているのを目の当たりにするのは非常にうれしく、感動的なことでした。
いつまでもお健やかで二足の草鞋を履き続け、希望を与えていただきたい。
また公演がありましたら観に行こうと思います。
学生時代合唱をやっていたくせに全く知りませんでした…。
大中恩先生(1924-2018)についても先生作曲の歌はよく歌っていたのに全く知らず(汗)
例えば、合唱をやっている人なら大抵の人は知っている愛唱歌「わたりどり」。北原白秋の詩です。
大中先生は海軍に行ったとき、明日の命はないかもしれない、という覚悟で曲をつけられたのだそうです。この時19歳。
管理人は同じく19歳でこの曲に出会ったわけですが、素人にも歌いやすいし、しみじみとしたいい曲だなーと。自分と同い年の若者がまさかそんな悲壮な思いで作曲したとは思ってもみませんでした。センパイたち誰もそんなこと教えてくれなかったしなー。もしその背景を知っていれば歌い方はずいぶん違っていたでしょうね。
大中先生は良平さんより5か月年下。生前の良平さんと交流はなかったようですが、詩集『みんな笑ってる』(河出書房新社 1984年発行 )は良平さん没後の1987年に読まれたそうで、この中から2つの合唱組曲が作曲されました。
《混声合唱組曲「みんな笑ってる」プリントセンター 1988年》
・サンマ
・たんぽぽ
・海のうた
・雪
・すもも
・ごぼう
《混声合唱組曲「オレのうた」カワイ出版(混声合唱組曲集Ⅹ恋詩五抄に収録)1990年》
・かげろう
・てんとうむしの秋
・つばめ
・カマキリヤクザ
・きんぎょ
この詩集を持っている方は目次を見ていただければお分かりになると思いますが、詩の順番はバラバラです。
冒頭の"サンマ"、"かげろう"は良平さんらしい虚無感に満ちた詩で、うーんこれを組曲の最初にもってくるかとうなってしまいました。
「オレのうた」の楽譜を見ると、5曲とも無伴奏で四声の構成。特にひねったところはありません。
歌う側にとってはあまり面白くない(失礼!)のですが、詩がはっきり聞こえるようあえてシンプルにしてあるのだと思いました。
大中先生と良平さんは多感な青春時代を戦前、戦中、戦後に過ごし、同じ時代の空気感を感じていたはずです。
一つの詩集から2つも組曲をつくるとは、よほど大中先生に良平さんの詩の響くものがあったのでしょう。
ネットで見るいかにも好々爺風の大中先生の笑顔のお写真からは、"かげろう"のように自分だと知られずに土砂降りの雨の中で死ぬことが願い、という激しさは全く想像がつかないのですが..。
「みんな笑ってる」は楽譜をまだ入手できていないのですが、見る機会があったらまた書きます。
やったー!
良平さんの出た無頼シリーズ2作『大幹部 無頼』『無頼非情』のDVDが単品で出ます!
↓日活のHP↓
https://www.nikkatsu.com/package/info/201909/003517.html
以前、無頼シリーズ6作がセットで出てたのですが、欲しいのは2作ですし、2万円くらいするので、うーん、2作ともYoutubeで観たことあるしなあ、と購入をためらってました(今はYoutubeでは観られませんね)。
内容から言うとおすすめは『大幹部 無頼』。
下水道の普及前、ドブ川だった神田川の中での死闘が見もの。
何が沈んでいるかわからないので破傷風の注射を打って撮影に臨んだそうです。
大好きな伊部晴美さんの哀切なメロディが伴走する大好きな一作。
カッコいい良平さんが頻繁に出てくる作品。
管理人が観てきた日活のプログラムピクチャーでは、悪の組織のNo.2といった役どころの良平さんは途中から出てくるのがふつうなので油断していたら。
あら最初から出てきて旭と殴り合ってる!こりゃ嬉しいと座り直して観ました。
今作は二本柳寛さん(この方は善人役もイイ!)扮する猟銃店のオーナーの子分。
他の作品よりも登場シーンが多いのはいいのですが、日活では『機動捜査班シリーズ』よりも前で、悪役として出始めの頃だからなのか、あまり良い役じゃないんですよ。旭に遭遇するたびにすぐのされちゃうんです。
お話は脚本が悪いのかタラタラしていてあまり面白くない。
このシリーズは神出鬼没の小林旭の変装がウリらしいですが、今作は旭の変装が少なく、その分をルリ子と小沢昭一にやらせてるのでしょうか。
今回の発見は楠侑子のなんとも美しいこと。このとき26歳。
最初の黒いミニのチャイナドレスもすらっとして素敵でしたし、最後の西伊豆の達磨山(?)付近のガレ山でのパンツスタイルも細く長い脚でかっこよかった。
メイクも日本人離れした感じでフランスの女優さんのようでしたね。
フランス映画『霧の波止場』のヒロイン役で有名になった、ミシェル・モルガンに眼がよく似ています。
インタビュー本『アウトローに挽歌はいらない』北宋社(1979年)で、舞台だけだと食えないので3年間東映でバイトをやっていた、と語った良平さん。
ネットで調べたところによると、はじめて映画のクレジットに出たのは、1952年2月公開の東映の『嵐の中の母』。
映画で役が頻繁につくようになったのが、1956年。
となると、おそらく1955年より前の30歳前後に東映のエキストラをやっていたのかな。
何の作品に出たかはご本人が語っていないようなので、そのころの東映映画でいっぱい人が出る映画、例えば戦争ものとか時代劇なら出てるかも。
アタリをつけて探してみました。
そしたら、すぐに見つかりました(^o^)
1953年公開の『ひめゆりの塔』。DVDはありがたいですねー、何度でも観られる。
前半でひめゆりの生徒さんたちが慣れないながらも野戦病院で一生懸命看護婦の仕事にとりかかっている場面で、傷病兵の良平さんは仰向けに寝て目だけで訴えて小水をとってもらうのですが、右手でしっかり手榴弾を握りしめているというシーン。
台詞はないものの、あの目、濃い眉、彫りの深さ、通った鼻筋、顔の輪郭、腕の毛が濃くないところ(顔に似合わず体毛が薄いことが良平さんの好きなとこでもある^^;)、クレジットされてないけど間違いなく良平さんです。
最初『看護婦さーん、看護婦さーん』と高い声で呼ぶのですが多分違う人の吹替だと思います。
この作品は良平さんの郷土の先輩、岡田英次が教師役で出ています。
管理人の好きな俳優ですから10年くらい前に2,3回観たのですが、当時は英次さんだけ観ているというミーハー観客でしたので、今回はしっかり観ました。
さすがスタッフ・キャスト皆、戦争経験者だけあって、最近の戦争を描いた映画とは重みが断然違います。
生徒役は今井監督が俳優座など劇団を回って若手女優を集めたらしいですが、物凄くテストを繰り返したのだろうことがうかがえます。渡辺美佐子もこれがデビューだったとのことですが、自分の演技に納得いかず、減量して1週間後再チャレンジさせてもらったそうですね。
楠侑子(眼が大きいのですぐわかる!)はおぼつかない手つきで包帯を取り替えようとして軍医から怒られるのですが、憔悴しきっていてあれは演技ではないんじゃないかしら。
狭い防空壕の中につくられた病院で、狭い通路にも入口にも傷病兵が倒れ込んでいて、死人が出て寝床が空くのを今か今かと待っている。
水を汲みに行って目の前で爆弾が炸裂、ついさっきまで楽しくお喋りしていた友達が死ぬ。
あんなに可憐でひたむきなひめゆりの生徒たちから『先生、先生』と慕われているのに、地獄のような戦時下で仕方ないと言えども、傷ついた生徒たちを救えない先生方の悲しみ、絶望はいかほどであったでしょう。
戦争ではいつでも弱者が見捨てられ、犠牲になる。
多くの方に観ていただきたい一本です。
良平さんはなんとも多才な人だったんですねえ。
良平さん原作の劇画があると知り、見つけました。
秋田書店「プレイコミック」1974年に連載の『覇道残光』画:守谷哲巳。
明治時代の設定で父の仇を探す若者の旅物語です。
それにしても当時のプレイコミックって凄い連載陣だったんですね。
佐藤まさあき(鈴木則文監督の映画「堕靡泥の星」の原作者)、石ノ森章太郎、松本零士、黒鉄ヒロシ等・・。
『覇道残光』は1974年中に掲載開始、終了と判明しただけで全作集められていないので、ストーリーについては詳しく語れず残念ですが、またわかり次第書こうと思います。
ラジオドラマではおそらく唯一の主演。『ドラマ鬼界島』(58分間)。
ネットにもあがってないし、今のところ視聴できるのは横浜の放送ライブラリーだけ。
放送ライブラリーの紹介には、『思いもよらない人事異動の内示を受けた男の怒りと苦しみを、鬼界島に流された僧・俊寛の身に重ねながら描く。』とあります。
https://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=133022
左遷された男を良平さんが演ずるのね。しかも主演!ラジオドラマってどんな感じかなあ。
行ってみました。
放送ライブラリーでは視聴制限時間は2時間ですので、バッチリ二回聴いてきました。
最初は現代の若者たちが就職に失敗してどこか絶海の孤島に行ってみようかと島に旅してみるところから始まり、『♩どんな場所でも同じさ〜♩』ギターに乗せて投げやりな歌声が流れます。
その後営業部長から研究開発室長という良平さん一人しか居ない部署に左遷されることがわかるのですが、この時点で左遷された男が自分の居場所を見つけるストーリーなのかと思ったら、そうじゃない。
ずっと俊寛と同じように戻りたいともがくのです。
しかし。いかんせん脚本が弱い。
左遷されたら別の人生見つける選択肢だってあるんじゃないかなあ。だって営業部長さんだったんでしょ。妻子いるけど多少貯金ぐらいあるでしょう。
奥さんだって早く帰ってきてくれて良かったと言ってるし、と、思うのは40年という時代の差でしょうか。
当時のモーレツサラリーマンが美徳だった時代性も鑑みて、仕事一筋の男がひたすら返り咲きたいと願う姿に納得したとしても、島流しされた俊寛の経験した惨めさを感じるエピソードの重さと現代の左遷された男の惨めさが釣り合わないので、結局何を言いたいのか分からず終わるのです。
58分という時間は決して短くないので、も少し現代の男が体験した酷いエピソードや冒頭に出てきた若者たちを絡ませるとかしても良かったのでは。
これで1977(昭和52)年度文化庁芸術祭優秀賞?
能楽を流したりして芸術っぽくはしているんですが、当時は意欲作だったということかもしれませんね。
うーん、折角の主演作なのにな。ファンとしてはがっかりな一作でした。
第一部と第二部は続いている話の筈なのに、良平さんは別の役で陸軍の将校から鼻つまみ者の馬丁になっているので、あれっどういうこと?面喰ってしまいますが、何かの都合だったということで。
栗塚旭&小川真由美(さすが色っぽくて上手い!)に対して岩下志麻&良平さんと持ってきているのですが、良平さんの引っ込め方がいきなりすぎ。
子持ち未亡人となった志麻姐さんを助けに再登場する場面がある筈と期待して観てたんですけど。えーこれで終わり?すっぽかしを喰いました。
脚本ではおはなはんはどんな人をも魅了し、女一人でも生きられる力をもっているという描き方をしているので、惚れた人妻の窮地を救いに来る男のエピソードは入れられなかったのでしょうが。
良平さんは2年前の『喧嘩辰』に似たキャラの役ですが、こちらの方が楽しそうにやっているように思いました。70年代の千葉真一とのコンビを組んだ一連の役のような。
いつか『喧嘩辰』については書くつもりですが、当時の良平さんの滲み出す知性が辰のキャラにミスマッチに思えて仕方ないんですよね。折角の主役なのにイマイチぎこちない感じ?
『おはなはん』に話を戻すと、出た瞬間いいなーと思ったのが野村昭子のお手伝いさん。あんな人がお家にいたら旦那さんが単身赴任してても楽しいだろうな。小沢昭一とのコンビもGOOD。
ドラマでは大辻司郎がやったそうですが、盗られるとか覗かれるとか不安にならないかしら。でも大辻司郎の善人役は観てみたいですね。きっとうまいんだろうな。
強盗殺人事件の犯人役という良平さん。
登場するのは最初の方で取調室のシーン2回のみ。ランニング姿の上半身だけ見えてます。
カラダ細っ!
映画出演が多くなりだした初期の頃ですから、役柄上だけでなく経済的にも不遇だったのでは…(ちょっと涙)
共犯の田村高廣について供述するのですが、非常にピュアなものを感じさせ(だって眼がきれいに澄んでる!)、え、この人犯人?ほんと?そんな悪い人に見えないけど…?きっと貧しい生活の中でやむにやまれぬ事情があったのね…と想像させてくれます。
最後の最後に出てくる共犯役の田村高廣で、あ、やっぱりほんとは悪い人じゃないんだ、と納得させる、かなり重要な役でした。
良平さんファンとしては"こういう役だってこの人はできるんだからね!"と嬉しいキャスティングの一作です。
当作品のDVD発売前だったし、脚本の掛札さんがトークショーに出られるというので渋谷のヴェーラまで観に行きました。
『銚子芸術村』https://www.city.choshi.chiba.jp/simin/gyousei/cat05/matidukuri/choshi-art-community.html
『銚子ジオパークビジターセンター(犬吠テラステラス内)』http://www.choshi-geopark.jp/geosite/03/index.html
銚子に最後に行ったのは2016年でしたが、いつの間にか観光スポットが増えてました!
良平さんがご存命だったら、さぞかし喜ばれたでしょうね…
『銚子芸術村』は、良平さんがお手伝いされていたという市民劇団の記録や弟さんの故・内田安彦画伯の展覧会を期待しているのですが、今後はどうなるでしょうか。
良平さんの遺した詩("童謡"と良平さんは言っていますね)からもうかがえるのですが、本当に子どもが好きだったんだろうということがわかる一作。
高橋英樹の医師が裏組織の秘密を知ってしまい、病院を辞め、巡回医療船に乗りますが、英樹を狙って船のヘルパーとして乗り込んでくるヤクザが良平さん。
巡回医療船の船長が殿山泰司で子どもが二人おり姉役が和泉雅子。
弟役の小学生の男の子と良平さんが二人だけで話すシーンがあるのですが、その時の男の子のアップになった笑顔がとても良いのですよ。
演技上の笑顔でなく心からの笑顔でした。
撮影の合間にその男の子と仲良くしてたかどうかは分かりませんが、きっと良平さんの子ども好きなお人柄が伝わってあの笑顔になったのではないかしら。子どもって正直ですからね。
後半、男の子は良平さんの所為で急病にかかってしまうのですが、それを知った良平さんが動揺する場面で、この男はヤクザだけど実はそんな悪者ではないんだなということがわかります。
あの男の子のいい笑顔があったおかげで、自然なつながりになっていました。
良平さんの故郷、千葉県銚子市を訪れたときのこと。
あっ、と気づいたのは、海の街なのに色白でどちらかというと四角くがっちりしたお顔で表面積が広い方が多いこと。彫りが深いわけではありませんが、例えて言うならイタリアの名優マストロヤンニ系のお顔立ち。
年配の男性で昔ながらのお店のご主人のお顔はだいたいそうでした。面長のお顔の方はあまり見かけませんでしたね。
良平さんも色白で四角いお顔。同じく銚子出身の岡田英次もそうなんですよね。
そこで、2015年3月25日発行のミニ冊子『銚子人』(英治出版)。
銚子を盛り上げるいろんなお店の方の写真付きインタビューと観光案内。
中にお祭りの時の集合写真がありまして、これが皆さん揃いもそろって色が白く、お顔が大きくてがっちり四角い!
「国のとっぱずれ」と詠われた銚子。
昔から外国からの漂流民が多く、混血の方々がたくさんいたのではといわれているそうですが、良平さんも岡田英次も相当日本人離れしたお顔立ちですものね。
お二人が生まれてから90年以上経ちましたが、人間の変わらなさを感じ、なんだか嬉しくなりました。
まだ知らない良平さんの映画があるんじゃなかろうか。
と、ネットサーフィンしていたら、映画ポスターの画像を見つけました。
バーブ佐竹のヒット曲と同名の映画『女心の唄』。
なんとっ!良平さん主演?!
恋愛もので歌謡映画みたい!
えーっいつの映画よー?
と調べたら、この曲が出たときの1964~1965年にかけての映画で、浅野辰雄という監督の作品らしい。
大変残念なことに公開されてないみたいですね。
ポスターがあるということは、スチール写真は撮ったのでしょう。
撮影もしていたのではないでしょうか。
折角の貴重な主演、しかも恋愛映画なのに、もったいない!
当時の映画雑誌をあたって、も少し調べを進めてみたいと思います。
東映出演中にフリーになった2年後、古巣の松竹で「日本脱出」以来の出演。
今度は松竹で嬉しい初主演!
全国の内田良平ファンの皆さーん、良平さんづくしですよー!
体操してるのか?といいたくなるような「日本脱出」の桑野みゆきとの絡みは、今度はばっちり素敵なラヴシーン★
けれど、せっかくの主演なのに、観るのは2回目なのに、すっかり内容を忘れていた。
まあ、印象に残っていない、要するに名作とは言えないということで。
最後に刑事の山形勲の独白で、良平さんの悲しい過去が判明するので、忘れていて丁度良かったんですけどね。
それでも唯一覚えていたのは音楽。
良平さんが自室で一人でよく聴く曲はメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲。
相手役の謎の女、桑野みゆきが頻繁に聴く曲は、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」(いずみたく作曲 1969年)と間違えるほど似ている歌謡曲っぽいメロディ。
音楽は宮川泰。彼のフィルモグラフィを見ると歌謡映画の音楽は多いものの、この時期こんなシリアスな映画はやってないみたい。
メンデルスゾーンと「いいじゃないの幸せならば」(いずみたく作曲ですが)。
二人の心象風景を象徴する曲として使ってるんでしょうが、なんか曲の格調の釣り合いが取れない感じで違和感ありあり。
こんなに頻繁に流すなら、も少し歌謡曲調でないメロディなら良かったのに。
良平さんがメンデルスゾーンなのは、過去を考えたら合点がいくし、あの哀調のメロディがぴったりはまるのですが、桑野みゆきはなー。
ラストシーンの良平さんが一人バーで彼女を待つ時に選んでかけた曲は「いいじゃないの幸せならば」。
桑野みゆきに心を持っていかれたということなんでしょうけど、なんだかな。
ドッキリカメラに出ていた良平さんですから、驚きはしませんが、まさか忍者スタイルでパンツ釣りとは!
国際スパイかと疑われるような、スーツでバッチリ決めたビジネスマンスタイルで登場しますが、実は…という設定。
見かけからして如何にも変態、ではなく、一見普通の人なのに、人に言えない性癖をもっている、という難しい役ですが、ちゃんとはまってました。
良平さんの夫に構ってもらえず悩み、結局夫の趣味に同行までする奥さん役は賀川雪絵。
雑誌(「週刊平凡」1978年12月28日発売 女優さんたちの"変化")では『オレが惜しい惜しいと思っている人』と良平さんは評しています。
本当に日活というのは(東映もそうですが)、似たような話を似たようなキャストでしかも時代がかかったタイトルでつくってたんだなあと呆れます。
もうオリンピックも終わって、安保闘争が始まるというときにこんな時代遅れなタイトルで本気で客が入ると思ってたんでしょうか。
1970年の「嵐の勇者たち」もなんとかせいよ、と言いたくなるタイトルだったなー。
キャストもスタッフも年に何本も撮るわけですからいちいち役作りとかできないんじゃないでしょうか。
とにかく次から次へ数をこなすという感じだったんじゃないかなあと。
本作は航空検察官(ほんとにそんなものあるのか?無いと思いますが、あったらすみません!)が中国マフィアを退治するというお話。
良平さんは大滝秀治の子分役。
ほとんど台詞はなく、最初から最後まで黒サングラスで通します。
黒サングラスのせいなのか良平さんってすごい色白!このとき43歳ですがお肌キレイ!
申し訳ないけどそんな感想しかでない(^^;映画でした。はい。
ネットで良平さんの情報収集をしていたら、仙台で良平さんの持っていらした日本刀「宗近」が展示されている、と知り、日本刀専門の『中鉢美術館』に電話して見せていただきに行ってきました。
http://chubachimuseum.client.jp/
有備館駅のすぐ前という立地。
仙台から鳴子温泉に向かう途中にあります。
学生時代、学芸員実習で本物の日本刀を持たせてもらい、あまりの重さにびっくりしたことがあったくらいで、日本刀との接点はありませんでした。
好きな俳優の日本刀が所蔵されている。
ただそれだけのミーハーな理由で、ど素人が日本刀専門の美術館の館長先生に直々にお話をうかがうのです。
ある程度は勉強していかないと申し訳ない、と思い、殆ど一夜漬けの状態でしたが、図書館で日本刀に関する本を沢山借りて拾い読みしていきました。
出迎えて下さった館長先生はすぐに良平さんの刀を見せてはくださいません(そりゃそうだ(^^;)。
日本刀についてのこちらの認識を尋ねたうえで、日本刀のルーツについて展示物を解説しながら素人にもわかりやすく熱心に教えて下さいました。
本を読んでもよくわからなかったのは、日本の刀は最初、真っ直ぐな刃と反った刃があったのに、どんな経緯を経ていわゆる日本刀~反った刀に統一されたのか?ということ。
館長先生によると、真っ直ぐな刀は半島→関西方面に入ってきて、武器よりは神具として、反った刃はアラブ~ロシア方面→東北方面にもたらされ、武器として使われたそうです。
その統一された経緯は日本刀の歴史の中では曖昧にされ、きちんと解説している本は殆ど無いとのこと。
以下は館長先生がご自分で研究されて判ったことだそうです。
東北からは優れた技術を持つ刀鍛冶集団が多く現れ、優秀な刀鍛冶を抱えているのは権力の象徴であることから、武将たちがこぞって東北の刀鍛冶たちを京に連れて行った。
但し、当時の東北は京から見ると野蛮な未開の地とされており、京よりも東北の刀鍛冶の技術が優れているのにも関わらず、東北の刀鍛冶たちは自らの作品の銘を残すことができなかった。
本によっては関西と東北の刀鍛冶集団が別者であるように書かれているが、様式の変遷を見れば関西は東北の流れを組むものが殆どである。
東北の差別、中央中心主義は日本刀の歴史にもある。
上記は来館者に必ず解説しておられることだそうです。
価値の高い低いではなく、日本刀を通じて東北の歴史に関心を持ってほしいともおっしゃっておられました。
その他、現代日本の刀匠が日本の法律の制約の為、自由に日本刀をつくれず、技術を磨く機会も限られ、かえって法に縛られない外国人の方が沢山日本刀を作れ、高い技術を持つことができるなどの興味深いお話もうかがえました。
館長先生のお話で一番印象に残ったのは、
『日本刀を持つのは武器としてではありません。人を傷つける力を持つ日本刀だからこそ、所蔵するに相応しい人間でいられるか、自らの精神性を高めるためなのです。故に日本刀を他人に譲るのは信頼関係がきっちりできている人同士でないとできない。
日本刀はむやみに抜くものではなく、抜く事態を招かぬよう最大限の努力をするのです。最後の最後の最後に抜く時、それは、負け戦、自分が死ぬ時なのです』。
さて、お目当ての良平さんの日本刀「宗近」ですが、収蔵庫で見せていただきました。
館長先生に託した方に良平さんの日本刀がわたった経緯は詳しくはわからないそうです。
おそらくは60年くらい前に良平さんの手元にあり、没後手放されたものではないかとのことでした。
60年くらい前というと東映の時代劇に出ていたときに入手されたのでしょうか。
恐る恐る持たせていただきましたが、意外に軽かった。
館長先生によると日本刀はそんなに重くないそうで、重いのはあまり質が良くないのだそうです。
写真だと短く見えますが、実際は70cmくらいあります。
鞘には「内田良平鑑」とありました。
過去に管理人が見た、良平さんのサインとは少し違うので、直筆ではないかもしれません。
ご自分で購入されたのか、それともどなたかから贈られたのか?
役作りのために何べんとなく持ったのではないかなあといろいろ想像してしまいますね。
日本刀には、今までまったく関心が無かった管理人ですので、良平さんのことが無ければ中鉢美術館を訪れることもなかったでしょう。
良平さんのおかげでまた世界が拡がりました。
館長先生、お忙しい中2時間もつききりで解説してくださり、本当にありがとうございました。
『狭山裁判』1976年10月16日公開(撮影時 52歳?) 東映 監督:阿部俊三 脚本:野波静雄 撮影:仲沢半次郎(凄い!)
インタビュー本『アウトローに挽歌はいらない―スクリーンにはじける男たち (1979年)北宋社』で『映画俳優としては死んでるんだよ』と言った時期の良平さんの主演作です。
観て面白かった伊吹吾郎主演『夜明けの旗 松本治一郎伝(1976年公開)』と同じ脚本家なので、観たいなと思っているのですが、どうでしょうか。
Wikipediaによると、本作と『夜明けの旗~』は同時上映だったらしいですね。
良平さんの役は実際に裁判に関わった野本武一氏(1974年逝去)。
これはもう公開されないでしょうかね…。脚本だけでも読んでみたいものです。
『虹ふたたび』1975年 毎日映画社 監督・脚本 寺田博
ドキュメンタリー映画。
数少ない上映機会に紹介された内容は、盲学校に通う少年の目となって全国を旅して歩くという、興味深い内容です。
良平さんにオファーが来た経緯を知りたいですね。
東京都立図書館にはフィルムがあるようで、団体の上映会で貸し出しをするそうです。
どこかで上映されるのをひたすら待ってます…。
良平さんのお顔を意識したのは、小林旭の『南國土佐を後にして』です。
初めてお名前を知ったのは岡田英次のファンだった(あ、今でもです)からなのでした。
『おかあさん』『ここに泉あり』『また逢う日まで』『狂った果実(根岸吉太郎監督)』など、名画にたくさん出演しています。
特に『ヒロシマ・モナムール(邦題:二十四時間の情事)』は最高に素敵です!
エマニュエル・リヴァとのシャワーシーンではあまりの色気に鼻血(^^;が出そうになるほど。
出身は良平さんと同じ千葉県銚子市。
良平さんは岡田英次のつてをたどって役者になったそうです。
良平さんの本によると、実年齢が4歳しか違わないこともあり、兄弟のように仲良くしていたらしいですね。
『内田良平のやさぐれ交遊録』には意外な岡田英次の素顔が紹介されていますので、機会があったらお読みください。
良平さんならずとも、えっ、あの岡田英次が?!
そんなお下品なことを?ええーっとなります。
岡田英次と同じ劇団青俳にいた蜷川幸雄の書いたものや、木村功の奥さんの梢さんが書いた『功、大好き』では、もしかしたら四角四面の冷たい人なのかもしれない、ファンとしては悲しいなと思っていたこともあったのですが、同じく親しくしていた、杉良太郎の『媚びない力』2014年 NHK出版新書で印象が変わりました。
良平さんが杉良太郎の舞台に出演中に亡くなったときのことです。
岡田英次が『一人じゃ、可哀想だ』『おまえ冷たいだろう、可哀想に、俺が一緒に寝てやる』と言って良平さんの亡骸を抱きしめて横になったとあり、杉良太郎は『なんと人間くさい、温かい人だろう』と書いています。
家族でもないのに亡骸を抱きしめるとはなかなかできないことで、実は愛情深き人だったんだ、と分って嬉しくなりました。
そんなにまで愛してくれた人がいた良平さんは倖せでした。
父親役、といえば「そりゃあ水谷豊に殺される役に決まってるでしょ!」と言われそうですね。
『青春の殺人者(1976年)』は私の中でいまいち消化できていない(汗)作品なので感想は書けません…。
そのかわりこの1本。
『薔薇の標的』1980年4月26日公開 東映 撮影時55歳
監督:村川透
沢たまき、佐藤慶、中島ゆたか、本間優二、今井健二と大好きな俳優さんたちばかりなので、わくわくしながら観ました。
良平さんの役は舘ひろしと一獲千金を狙う殺し屋。
昔訳アリだったホテルの女主人沢たまきと吞み交すシーンはさすが大人の余裕と色気。
もうピッタリでした!
実は良平さんには身体が不自由な小学生の息子がいるのですが、キリスト教系の養護施設にあずけています。
息子の将来の為に金が欲しい。
そして息子が何不自由なく暮らせるだけの金をつくったのち、息子とお別れするシーン。
その時の手をふる良平さんの表情。
このシーン台詞無し。
観客からすれば、子供には親がいたほうがいいじゃないか、なんで施設に預けるのかと思うのですが、やはり殺し屋が親ではまずいということなのでしょう。
非常に寂しげで、不安そうな表情。
もうたまらなかったです。
他にも父親役があったら観てみたいなと思った一本でした。
初めて良平さんに注目したのがこの作品。
もともと小林旭の若い時が好きで目の保養代わりに見ていたところ『あら、なんてかっこいい人なのかしら』と目が釘付けになりました。
実年齢はとうにおじさんの年齢になってますが、頬なんてそげててそりゃあもうすこぶるつきの美青年。
7歳のサバ読みはバレなかったでありましょう。
今作の良平さんは借金のかたに浅丘ルリ子を自分のものにしておきたく、旭を遠ざけようと妨害する悪役。
『自分の女』呼ばわりするわりには、ルリ子の貞操は大丈夫そうなのですね。
もしかするとルリ子を大事に思うあまり手を出せない設定なのか?と思いましたが、脚本はそこまで書きこんではいません。
良平さんもそういう役作りはしてなかったので、借金だけでなぜルリ子をモノにしたいのか見ている方にはよくわからないのですが。
わりにあっけなく、旭に倒されるし。
待ってました!安藤昇 VS内田良平の目ヂカラ対決!!
だけどこの勝負どっちも好きだから引き分け!
二人のファンとしては嬉しさ半分、ドキドキ半分、掛け声かけたいくらい。
と、後半になってやっと出てきた良平さんがよかったのはこの初対面シーンくらい。
安藤昇を狙う殺し屋なのに依頼主から欺かれて直ぐに殺されてしまいます。
あらー、なんだかなー。
クライマックスの安藤昇は粉雪が舞い始めて雰囲気のイイ感じのシーンだったのですが、カメラが切り替わって大友柳太朗になるとなぜか雪が降ってない。
同じ時間同じ場所で戦っている筈なのに。
監督さん、そんなんでいいんですか?!
なんだかなー。
良平ファンとしてあるまじき。
神戸映画資料館で武智鉄二監督の『幻日』が10/22一日間のみ上映されたそうです・・・。
http://kobe-eiga.net/program/2017/10/3348/
くやしい。くやしい、くやしい、くやしい…(泣)。
観た方羨ましい…。
1966年といえば。
良平さんが女性に刺された傷害事件スキャンダルの翌年ではないですか。
一般公開されず、そのままフィルムが行方不明だったそうです。
どういう経緯で撮影されたものなんだろう。
こういうことがあるから情報収集は怠りなく、と肝に銘じるのでありました。
1953年に撮影していたにもかかわらず、GHQの目を恐れて、3年もお蔵入りしていたそうです。
メロドラマ『君の名は』で清純派女優として当時人気絶頂期の岸惠子が米軍相手の娼婦の役ということで、イメージダウンになるやもという会社側の配慮もあったとか。
でも、岸惠子の登場シーンはたった2回だけで、娼婦として登場するのは後半ですし、当時の映画ポスターには大きく岸惠子の顔が出ていますが、ストーリーには深く影響してきません。
やはりGHQ対策なのでは、という気もします。
巣鴨プリズンのB・C級戦犯が入れられている房から話が始まり、それぞれの囚人のバックグラウンドが語られるので、最初誰が主役なのかよくわからないのですが、上官の小沢栄(小沢栄太郎)の命令で現地人を殺したのに、上官からしらばくれられ、深い恨みを抱いて脱獄をくわだてる浜田寅彦が主役なのだと後からわかってきました。
良平さんは三島耕演じる英語通訳で浜田寅彦と同じ房にいる男の弟役。
登場シーンは兄との面会シーン2回に、兄の思い人であり、娼婦となった岸惠子と話すシーンの1回だけですが、浜田寅彦が脱獄しようとした時の話を兄から聞きとり、左翼系雑誌に書いたため、浜田寅彦が三島耕と絶交するきっかけになるという、重要な役です。
二回目の兄との面会シーンでは左翼の活動家になっているのですが、微笑んで『平和主義者はみんな左翼さ』と言う表情が良かった。
最初の面会シーンから比べて自分の信念に基づいて人生を生きている、成長している、という感じがよく出ていました。
で、良平さんの書いたものに依れば、この映画で岸惠子との交際が始まったそうです。
岸惠子の運転する車に追いすがって口説いたのだとか。
飛ぶ鳥落とす勢いの大スタアに新進俳優が猛烈にアタックしたわけです。
1970年代、週刊誌のグラビアに『私の女ともだち』というタイトルでご両人のツーショットの写真が出てました。
イヴ・シアンピと彼女が結婚したとき、『とっても悲しかった』と書いた良平さんですが、きっと大人のいい関係でいたのでしょうね。
主演:原節子
原作:今日出海『この10年』
脚色:井出俊郎
監督:佐分利信
佐分利信が描きたかったのは、戦後10年たっても戦争の影響を心身ともに受け続けているいわゆる『戦争ボケ』の男たちの生き方だったのかなあ。
彼の役は初婚で、後家で子持ちの原節子と一緒になるのですが、戦時中自分の部下だった男が頼ってきたのでその妻子も同居させたり、同じく部下だった三船敏郎に妻が惹かれていくのをちゃんと止められないでずるずる過ごしていく。
ただ、佐分利信の優柔不断で事なかれ主義は戦争でそうなったのか、それとも元々そうなのか、何をしたい男なのか、その辺がよくわかりませんでした。
良平さんは、原節子と大恋愛の上結婚して一子を得るも、戦病死してしまう画家さんの役。
登場シーンは最初の方の戦場で妻子との3人の写真を握りしめて横たわっているところ。
あとは戦後、原節子が見る写真の中にでてくるだけですが、帰国して妻子に会いたいという気持ちが良く出ていて非常に印象的でした。
写真の良平さんは爽やかな二枚目で、原節子とお似合いな感じ。
他の映画での共演も見たかったなあ。
邦画が風前の灯というときに、こんな大時代的なタイトルで客を呼べると本気で思っていたんでしょうか日活は・・。
まあ、いわゆるオールスター映画ですから、細かいことはおいといて。
悪女役の浜美枝が美しい!
傲慢で成り上がるためなら手段を選ばない女を堂々と演じています。
良平さんは今作の敵役・柳永二郎に孤児時代に引き取られ、彼の忠実な僕となり殺し屋になるが、ひそかに彼の愛人の浜美枝を愛する役。
浜美枝に自分が引き取られた裏の事情を知らされると、誰がなんと言おうと裕次郎たちには最後の最後まで引き金を引きません。
最後は浜美枝の腕の中で死んでいき、そこで彼女も良平さんへの愛を自覚します。。
台詞はほとんどないのにもかかわらず、一番オイシイところを持っていきました。
なんたって、登場人物の中では柳永二郎に次ぐ一番の年上、大正生まれなんですもの!
当然です。
脚本(松山善三)がよくないときの役者さん、可哀想…
これで自分の役に感情移入できるのかしらん…
良平さんの役は自分たちの村の水源を取ってしまおうとする東京の会社に反抗する農民の役だから、いいとしても、主演二人の有馬稲子、佐田啓二の役はなんだかな…。
有馬稲子…秘書として仕える自分の上司(自分に気があるかもしれない)が自殺してさっさと他の会社の社長秘書になれる?
佐田啓二…有馬稲子を好きだから、自分をずっと片思いしてくれていた女(桂木洋子)を振るのに、有馬稲子に振られたからってすぐにそっちに目が行く?
釈然としない思いがえんえん続き、観ていて疲れた…。
当時のお客さんはどう思ったでしょう。
あ、良平さんは白皙の美青年でした。
眼福です。
主演:久我美子
監督:小林正樹
脚本:楠田芳子(潤色:松山善三)
あ~久我美子になりたい!
切実に思いました。
だって天下の二枚目・佐田啓二が夫、
幼馴染で自分を好きでいてくれる男が内田良平ですよ!
なんという贅沢!
タイプの違うハンサムから好かれるって困っちゃう~、どうしよう~?と映画なのに真剣に悩んでしまいました。
これで佐田啓二が頼りない夫だったら、久我美子も揺れるのでしょうが…。
姑・浦辺粂子&小姑・高峰秀子という敵に回したくない最強コンビから妻をかばうわ、妻の幼馴染の男に手土産を持たせるわという、現実ではあり得ない、だけど佐田啓二ならあり得るかも、うん、と観客を納得させてしまう良く出来た夫なので、久我美子もそれほどよろめかずに済むのですね。
良平さんは本当は久我美子のことが好きなんだけど、男らしく自分の感情を抑えます。
『ご主人が待っているから早く帰った方がいい』と彼女を送り、佐田啓二に会うとちゃんと挨拶をして、故郷に帰るというなかなか難しい役どころ。
良平さんがやると、『この人は孤独な人なのかも。ふるさとに帰ってもやってけるかな』と思わせ、強い印象を残していました。
佐田啓二と高峰秀子の弟役、石濱朗が『映画監督小林正樹』(岩波書店・2016年発行)で語っていますが、内田良平の演じた役がなかなか決まらなくて、やっと決まったとき、小林正樹監督が『彼、なかなかいいだろう』と石濱朗に言ったそうです。
良平さんの映画出演の初期は小林正樹監督が多いのですね。
小林監督が良平さんのどこを見込んだのか、もっと詳しく知りたい気がしました。
主演:南原宏治(当時は伸二)
監督:野村芳太郎
脚本:山田洋次
良平さん目当てですが、好きな南原宏治が主演でもあるので楽しみに観ました。
ストーリーはサラリーマン版『坊っちゃん』。
悪役じゃなくて一途な孝行息子・南原宏治は初めて。
同じ年に漱石の『坊っちゃん』も演ったのですね。
結構似合っているかも。
良平さんは南原宏治と同じ下宿に住んでいる経理課社員。
他の同僚とともに安月給を嘆くという役でストーリーにはあまり絡まないのですが、恋人であるエレベーターガールの朝丘雪路と結婚したいのだけど、結婚資金がないので、仕方なく休みの日は連れ込み宿で過ごしている、という設定。
「夫婦共働きすればいいじゃない」と思ってしまったのですが、結婚したら女性は家庭に、という時代ではこんなカップルも珍しくなかったのでしょうか。
良平さんでなくてもいい役で、正直あまり芝居も上手いとは思えないのですが、
日活に行く前年の良平さんはこんな感じだった、ということで。
あ、映画自体は楽しく観られましたよ。
実は利己的な田村高廣、イイ人だけどヒラ社員の三井弘次、安定の悪がしこい西村晃など。
良平さんご出演作品の中では最も好きな映画です!
好き過ぎてネットの動画視聴だけでは飽き足らず、DVDを買って何度も観てしまいました。
敬愛する沢島忠監督の作品ということもあるのですが、鳴門海峡(?)を思わせる荒波の大渦を背景に流れる伊部晴美さんの音楽がニーノ・ロータの曲のように格好良くて、観た後は曲が頭の中をずっと流れています。
このサントラ盤があったら欲しいなあ。
沢島忠監督はこの映画の出来にあまり満足しておられない(『沢島忠全仕事』)ようですが、なかなかの出来だと思いますよ。
良平さんはリーダー的存在の間諜役。
実年齢で7歳もサバを読んでいたとはいえ、共演の緒方拳(撮影時26歳)、松方弘樹(同21歳)よりは断然年かさですから、当然ですね。
新人間諜の松方弘樹からは非情と恨まれることもやりますが、そこは仕事に殉ずるがゆえの大人の男の心意気と苦悩、そして後輩を思いやる優しさを見せてくれます。
あー、もっと語りたいけど、これ以上はネタバレになってしまいますから止めましょう!
この映画でびっくりしたのは、唐沢民賢のカッコよさと松方弘樹の可愛さと楠侑子の色っぽさ!
唐沢さんが冒頭の賭場から楠侑子に色仕掛けで絡まれ、相手方に捕まってしまうところでタイトルバックになるのですが、
イヤー素敵!この俳優さん誰?と思わず調べてしまいました。
意識して見ればたいていの東映映画にはいつも出ていらっしゃるのですね。脇役じゃないところも観てみたいな。
21歳の松方弘樹可愛いすぎ!!
純粋でまっすぐな若者役がぴったりはまり、後年のイメージとはまったく違って驚きです。
楠侑子も素敵!
前年の『ギャング同盟』に山本麟一の奥さん役で出ますが、あんまり印象に残らない感じ。
今回の顔に火傷して片足という菅貫太郎を『気持ち悪いんだよ!』と拒絶する女のほうがいいです。
あ、野川由美子主演の『河内カルメン』ではレズビアンの役でしたね。
これもはまってました。
映画館でかかることがあれば、絶対行きたい!
大きなスクリーンで一度は観たい映画です。
ファンですがハッキリ言います。
良平さんはお顔は西洋人。
なのに体型は…身長が低く(おそらく165cm未満)、肩幅狭くなで肩、おみ足も長くないという典型的な日本人体形(ファンの方ごめんなさい!)。
マ●ベ●堂のブロマイドの全身写真は『こらこら、そのアングル、そのポーズで撮っちゃダメでしょ~』という感じ。
まあ、大正時代のお生まれですから仕方ありませんね。
時代劇はなで肩ですから着物がぴったり合うのですが、現代劇は衣装により、カッコ良くも悪くもなっちゃいます。
そこで、良平さんのベスト衣装、ワースト衣装を選んでみました。
(^o^)ベスト衣装☆彡
『ギャング同盟』東映 1963年7月31日公開 (撮影時39歳)
この映画の良平さんは冒頭からシャツのボタンを外し、襟を大きく肩まで拡げ(きゃー胸が見える!)、ネクタイをゆるくひっかける、という粋でセクシーな格好です。
これなら肩幅が狭いのもなで肩なのもカバーできます。
なんて素晴らしい!東映の衣装さん!
スーツも着るのですが、なんとラメ入り!
お洒落~!カッコいい良平さんが堪能できます。
やっぱり主演だからかな~。
(^^;ワースト衣装(-_-;)
『海底から来た女』 日活 1959年9月13日公開 (撮影時35歳)
川地民夫扮するお金持ちの坊ちゃんの別荘の近所に住む作家(珍しい!)の役。
良平さんの登場は最初と真ん中と最後の3回ほどで浴衣とシャツの両方で浴衣はなで肩だからいいのですが、シャツの時が…。
日活の衣装さ~ん!(泣)
少しは体形に配慮して~!
◆番外編 ~良平さんは"赤フン"がお好き??~
『怪談昇り竜』
良平さんは風呂に入らない(何故?)チンピラ役で上半身は三つ揃い、下半身は赤フンに革靴という珍妙な姿を見せてくれます。
誰のアイデアなんだろう?
あまり映画の進行とは関係のない役なので、良平さんご本人の提案だったんでしょうか??
『やくざ刑事 俺たちに墓はない』
千葉真一と最初は対立するがそのうち無二の親友になるという筋書のシリーズもの。
なぜか黒の半袖の網シャツ!
座っていますが下半身は赤フンというシーンも出てきます。
良平さんて赤フンお好きだったのかしらん。
良平さんの亡くなった6月に完成を目指して作ってみましたが、良平さんのことをお伝えするにはまだまだ時間と力が足りず、これから充実させていく所存でおります。
良平さん、貴方のファンを増やしていくのがこれからの課題です。
拙いHPですが、見守っていて下さいね。