ネットで良平さんの情報収集をしていたら、仙台で良平さんの持っていらした日本刀「宗近」が展示されている、と知り、日本刀専門の『中鉢美術館』に電話して見せていただきに行ってきました。
http://chubachimuseum.client.jp/
有備館駅のすぐ前という立地。
仙台から鳴子温泉に向かう途中にあります。
学生時代、学芸員実習で本物の日本刀を持たせてもらい、あまりの重さにびっくりしたことがあったくらいで、日本刀との接点はありませんでした。
好きな俳優の日本刀が所蔵されている。
ただそれだけのミーハーな理由で、ど素人が日本刀専門の美術館の館長先生に直々にお話をうかがうのです。
ある程度は勉強していかないと申し訳ない、と思い、殆ど一夜漬けの状態でしたが、図書館で日本刀に関する本を沢山借りて拾い読みしていきました。
出迎えて下さった館長先生はすぐに良平さんの刀を見せてはくださいません(そりゃそうだ(^^;)。
日本刀についてのこちらの認識を尋ねたうえで、日本刀のルーツについて展示物を解説しながら素人にもわかりやすく熱心に教えて下さいました。
本を読んでもよくわからなかったのは、日本の刀は最初、真っ直ぐな刃と反った刃があったのに、どんな経緯を経ていわゆる日本刀~反った刀に統一されたのか?ということ。
館長先生によると、真っ直ぐな刀は半島→関西方面に入ってきて、武器よりは神具として、反った刃はアラブ~ロシア方面→東北方面にもたらされ、武器として使われたそうです。
その統一された経緯は日本刀の歴史の中では曖昧にされ、きちんと解説している本は殆ど無いとのこと。
以下は館長先生がご自分で研究されて判ったことだそうです。
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東北からは優れた技術を持つ刀鍛冶集団が多く現れ、優秀な刀鍛冶を抱えているのは権力の象徴であることから、武将たちがこぞって東北の刀鍛冶たちを京に連れて行った。
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但し、当時の東北は京から見ると野蛮な未開の地とされており、京よりも東北の刀鍛冶の技術が優れているのにも関わらず、東北の刀鍛冶たちは自らの作品の銘を残すことができなかった。
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本によっては関西と東北の刀鍛冶集団が別者であるように書かれているが、様式の変遷を見れば関西は東北の流れを組むものが殆どである。
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東北の差別、中央中心主義は日本刀の歴史にもある。
上記は来館者に必ず解説しておられることだそうです。
価値の高い低いではなく、日本刀を通じて東北の歴史に関心を持ってほしいともおっしゃっておられました。
その他、現代日本の刀匠が日本の法律の制約の為、自由に日本刀をつくれず、技術を磨く機会も限られ、かえって法に縛られない外国人の方が沢山日本刀を作れ、高い技術を持つことができるなどの興味深いお話もうかがえました。
館長先生のお話で一番印象に残ったのは、
『日本刀を持つのは武器としてではありません。人を傷つける力を持つ日本刀だからこそ、所蔵するに相応しい人間でいられるか、自らの精神性を高めるためなのです。故に日本刀を他人に譲るのは信頼関係がきっちりできている人同士でないとできない。
日本刀はむやみに抜くものではなく、抜く事態を招かぬよう最大限の努力をするのです。最後の最後の最後に抜く時、それは、負け戦、自分が死ぬ時なのです』。
さて、お目当ての良平さんの日本刀「宗近」ですが、収蔵庫で見せていただきました。
館長先生に託した方に良平さんの日本刀がわたった経緯は詳しくはわからないそうです。
おそらくは60年くらい前に良平さんの手元にあり、没後手放されたものではないかとのことでした。
60年くらい前というと東映の時代劇に出ていたときに入手されたのでしょうか。
恐る恐る持たせていただきましたが、意外に軽かった。
館長先生によると日本刀はそんなに重くないそうで、重いのはあまり質が良くないのだそうです。
写真だと短く見えますが、実際は70cmくらいあります。
鞘には「内田良平鑑」とありました。
過去に管理人が見た、良平さんのサインとは少し違うので、直筆ではないかもしれません。
ご自分で購入されたのか、それともどなたかから贈られたのか?
役作りのために何べんとなく持ったのではないかなあといろいろ想像してしまいますね。
日本刀には、今までまったく関心が無かった管理人ですので、良平さんのことが無ければ中鉢美術館を訪れることもなかったでしょう。
良平さんのおかげでまた世界が拡がりました。
館長先生、お忙しい中2時間もつききりで解説してくださり、本当にありがとうございました。