(2016年9月の旅の記録です)
良平さんは本当に故郷が大好きだったようで、ちょくちょく里帰りをしていたようです。
雑誌の取材でも熱く語っていましたし、自伝的小説としてまとめて世に出るはずだった多くのエッセイの中に故郷にまつわるエピソードが見られます。
良平さんの愛した銚子はどんなところなのか?
これはファンとしては見ておかないと!
泊りがけで行ってきましたよ。
銚子市立公正図書館で、戦前と戦後の市内の地図を見せていただいたのですが、銚子は空襲に遭っているのと、戦後は開発で丘陵地が削られて平らになっているので、良平さんの子供時代とはだいぶ違っているようです。
よくわからなかったのが、良平さんの子供時代の遊び場『ゲンバ山』。
甥っ子でお弟子さんでもあった、江樹一朗さんが銚子電鉄に一緒に乗って、『ゲンバ山』を見るという場面がエッセイ集「乙姫様の玉手箱」に出てくるので、まだあることはわかっていましたが・・
具体的にはどこのことなんでしょうか。
地元出身というタクシーの運転手さんに聞いても首をひねられてしまい、もしかしてもう削られて無いのかなあ、などと残念に思いつつ、銚子電鉄の駅を降りて足の向くままに歩いていたら、駅から大分離れた住宅街で迷子になるはめに。
もうあと一時間くらいで暗くなる時間ですし、スマホの電池は今にも切れそうで、歩いている方も見当たらず、道を聞けそうなお店も無し。
帰る日でしたので、仕方なく来た道を戻って駅に行くことにしました。
歩いていくうち、駅方向の道標が立っていたのでそちらの方に行ってみたところ、小学校があります。良平さんの卒業した小学校からは線路を挟んで南側です。
ここで気づいたのですが、この小学校の場所は狭い丘になっていて、小学校の前の小さな木立の隙間から飯沼観音が見下ろせるのです。
『ゲンバ山』からは飯沼観音が見下ろせた、とエッセイにあります。
あたりを見まわしたところ、飯沼観音を見下ろせる高台はここしかありません。
もしかして、とても狭い丘だけど、ここがそう?
もしかして、天から見下ろしていた良平さんが「しょうがないなあ、教えてやるかあ」とファンに教えてくれた?かな?
きっとそうだ。
木立に初秋の夕日の光が差し込む中、観音様に向かって手を合わせている自分がいました。
良平さん、観音様、ありがとうございます。
これで帰れます。
また来ますね。
~後日談~
2016年当時、ゲンバ山⇒玄蕃山でネットで探しても全然出てこなかったのですが、今は銚子がジオパークになったためか、たくさん出てきますね。
場所は合っていました。
あのときは、やはり良平さんが教えてくれたんだ、とファンとしては思いたいです。。