良平さんが学生時代の友人である新城明博さんと一緒にたちあげた同人誌『浪曼群盗』。
良平さんが亡くなったあとに新城さんにより編集発行された1986年『蝶のドア』や2002年『ねむの花 内田良平R・G遺作品集』をお読みになった方はお分かりになると思いますが、映画デビュー前の新演劇研究所に入る前から長年にわたり寄稿しており、詩人・内田良平の軌跡が見えてきます。
創刊号は1949年6月。
新城さんと良平さんの二人だけだと格好つかなかった(?)のか、新城さんのお父様で俳人であった新城世黨(世黨=俳号)さんの3人でスタート。
次号からは友人でもあった金井啓二さん、のちの美学者の島本融さんなど寄稿する人数もぐんと増えていきます。
新城さんは大学を卒業してからは福島県本宮市のご実家で家業の酒屋さんを手伝いながら、良平さんは千葉県銚子市で材木屋、魚の卸業など様々な仕事をしながら、遠く離れていても厚い友情が『浪曼群盗』として結実しました。
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~『浪曼群盗』創刊号 1949年6月25日より~
それは、海べと田園に生えた、二つの考へるあしのやうな草であった。
それはか弱き「浪曼群盗」なのだ。しかも草の葉上に鋭く月光をとらえる露玉の如く。
それがこの小冊子の題名となった。もっと多くの考へるあしがこの浪曼群盗から生えることをのぞむ。
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今年は良平さんの生誕100年、没後40年。
今後は俳優としてのお仕事だけでなく『浪曼群盗』や詩人としての良平さんのこともご紹介していきたいです。