良平さんが映画デビュー前に所属していた新演劇研究所で一緒だった、三條三輪さんの歴史的インタビューが出ました。 http://www.hbnk.cfbx.jp/oth/archives/86 2021年に収録されたものです。 2.26事件、戦時中の弾圧、土方与志、千田是也を語れる人が今、どれだけいるでしょうか。...
インタビュー本『アウトローに挽歌はいらない』北宋社(1979年)で、舞台だけだと食えないので3年間東映でバイトをやっていた、と語った良平さん。 ネットで調べたところによると、はじめて映画のクレジットに出たのは、1952年2月公開の東映の『嵐の中の母』。 映画で役が頻繁につくようになったのが、1956年。...
良平さんの故郷、千葉県銚子市を訪れたときのこと。 あっ、と気づいたのは、海の街なのに色白でどちらかというと四角くがっちりしたお顔で表面積が広い方が多いこと。彫りが深いわけではありませんが、例えて言うならイタリアの名優マストロヤンニ系のお顔立ち。...
良平さんのお顔を意識したのは、小林旭の『南國土佐を後にして』です。 初めてお名前を知ったのは岡田英次のファンだった(あ、今でもです)からなのでした。 『おかあさん』『ここに泉あり』『また逢う日まで』『狂った果実(根岸吉太郎監督)』など、名画にたくさん出演しています。 特に『ヒロシマ・モナムール(邦題:二十四時間の情事)』は最高に素敵です!...